田舎者のジレンマ
「やれやれ、街が騒がしいものだ」
気まずい沈黙を破ったのはカウベルの音と男性の声。
「もうしわけありません、店主の祖父だと……」
護衛騎士の言葉を聞きながらヒューバートがその目をアリシアに向けると、アリシアは申しわけなさそうにしつつも首をタテに振る。
「やれやれ」
身体検査を軽く終えた護衛騎士が持ち場に戻って扉が閉まると、アリシアの祖父ルークは呆れたような目を扉に向ける。
「うちの者が失礼した」
「貴族であることは大変ですな、元妻の実の祖父すら危険人物扱いとは」
敵意を隠さないルークの言葉にヒューバートは目を瞠り、アリシアは困った表情になる。
「ああ、失礼しました。不敬でしたな」
「いや、最初から礼を失して店を訪問したのは私だ。礼儀は……あまり構えないでもらえるとありがたい」
「それはありがたい。田舎者ゆえ、作法にはトンと自信がなくて」
快活に笑うルークをヒューバートは観察する。
荒くれ者と似た剣呑な雰囲気があるが、着ているスーツはオーダーメイドではないが良い仕立て。
さり気なくスーツの襟元を正す姿からも、騎士の検査を受けることに慣れている。
つまり貴族相手に多少は慣れているのだとヒューバートは推察した。
「もうよろしいですか?孫に会いにきたのですが」
孫といったルークの顔を反射的に見る。
そしてルークの目の色がアリシアと同じ翠色であることに気づいた。
「おじい様、どうなさったの?」
「お前の店に貴族が長居しているとジーンに聞いてな、なにかトラブルでも起きたのではないかと」
「心配かけてごめんなさい。ジーンにもお礼を言わないと」
「あの子はロマンス信者だから恋が芽生えたと騒いでいたがな」
相好を崩したルークの目にはアリシアへの信愛があったが、改めてヒューバートに向かい合ったその目はとても冷たかった。
「改めまして。お初にお目にかかります、ルーク・シーヴァスと申します」
「ヒューバートだ」
「それで、レイナード侯爵様がここの新たな領主になるのですか?」
「……いや」
「それでしたら、こんな鄙びた街に何のご用でしょうか?」
ヒューバートとアリシアの関係を知っていて用を聞く。
ビシビシ突き刺さる敵意といい、目の前の男に嫌われているとヒューバートは理解した。
「おじい様、侯爵様はパーシヴァルに会いにいらっしゃったの」
「……ほう」
ヒューバートへの問いかけにアリシアが応えたことが不快だったのか。
その内容が不快だったのか。
瞬く間にルークの眉間に皴が寄り、じっと自分を見るルークの目の意味に気づいたヒューバートはアリシアに願い出る。
「アリシア、すまないが少しだけ彼と二人にしてもらえないか?」
「え?」
「君の店なのに追い出すような真似をして申しわけないと思うが」
「それは構いませんが……」
ヒューバートの言葉に戸惑うアリシアの背中をルークが押す。
「アリシア、いつものところでコーヒーを買ってきておくれ。パーシヴァルも一緒に行って、好きなものを買うといい」
そう言ってルークはパーシヴァルの手に銀貨を一枚握らせる。
お小遣いにしては大き過ぎる硬貨にパーシヴァルは驚いたあと嬉しそうな声をあげ、そんな息子の様子にアリシアはため息を吐いた。
「それでは行ってきます」
「ああ、頼んだよ」
そんな二人のやりとりを聞きながらヒューバートが二人についていくように騎士の一人に指示していると、
「私はここで七年近く暮らしておりますから、大丈夫です」
(また「大丈夫」だ……)
手を繋いで歩き始めた二人の後ろ姿に、ヒューバートには苦い思いを飲み込んだ。
「二人きりだ、言いたいことを何でも言ってくれ。言葉遣いも礼儀も気にしないでくれ」
その言葉を証明するようにつけていたネクタイを緩めた。
そんなヒューバートにルークは満足した様子をみせ、獰猛な笑みを浮かべながら自分もネクタイを緩めた。
「なぜこの街にきたのです?」
「彼女が言った通り、子どもに会うためにきた」
「子どもにだけですか?」
探る様な質問にヒューバートは直接答えず、肩を竦める仕草を答えにした。
「ここは辺境の地ですが王都の情報も入ります、丘の上にできた宿のおかげで貴族の噂話も。この国屈指の資産家なのに未だ独身のレイナード侯爵の艶聞はこの街のご婦人方のお気に入りですよ」
「一度結婚して離縁したバツイチだ、”未だ”ではない」
「結婚したといってもたった七日間、ノーカウントですよ」
「七日だろうが結婚の事実はある、しっかりカウントしてもらいたい」
アリシアは神殿が認めた正式な妻。
そしてパーシヴァルはその結婚の証し、誰が何といおうと神が認めた嫡出子であること言外に伝える。
「あの子をお望みですか?」
「望んでいいなら、あの二人が欲しい」
「パーシヴァルはともかく、アリシアは愛人としてですか?」
「俺のことは何と思っても構わないが、自分の孫娘を貶めるな」
唸るような声とともに立ち上ったヒューバートの純粋な怒気にルークは驚く。
ヒューバートは貴族だ。
王の親族である公爵を除けば侯爵は最も高い地位にあり、王の信頼が厚い彼らは国でも重要な地域を管理している。
そんな男の妻に庶民はなれない。
認められない、許されない。
貴族と庶民の恋などロマンス小説の中だけの作り話。
定番の締め言葉である「二人は幸せになりました」なんてあり得ない。
(ああ、この男は……)
「安心しました」
一度目を伏せたルークがふたたび目をひらくとそこには敵意がなく、安堵だけがあった。
そんな自分の変化に目の前の男が戸惑うのを見ながら、ルークは笑みを浮かべる。
「見て分かる通り、ここは小さな田舎街です」
そう言ってルークは窓の外に視線を向ける。
こちらを見ていた知っている顔たちに微笑みを返せば、気まずそうに彼らは顔を背ける。
「住民の結束が強い……と言えば聞こえはいいですが排他的で、アリシアがここに来た日からあの子をずっと余所者と排除してきました。さらにシングルマザー、父親のいない子としてパーシヴァルも肩身の狭い思いをしてきました」
沸き上がった感情を押し殺すためにヒューバートは拳を強く握ったが何も言えなかった。
その状況にアリシアとパーシヴァルを追い込んだ罪は自分にもある。
「複雑なんです」
ルークの言葉はヒューバートのいまの気持ちを的確に表現していた。
そう、害者も被害者も見る目を変えれば簡単に逆転する。
「仕方がない」なんて言葉はあちこちに転がっていて、大部分は「大丈夫」と自分に言い聞かせて飲み込むしかない。
「アリシアが私の孫だと分かっていますが、こう……頭と心のどこかが納得していないというか。やはり他の孫たちと違っていて……私もアリシアとパーシヴァルを余所者と思ってしまっているのです」
「それは……」
仕方がない。
思わずそう言いかけて、便利な免罪符で理不尽を抑え込もうとするしてしまう自分にヒューバートは苦笑する。
それに気づいたルークも苦い笑みを返した。
「私も一応商会長なんてやっていますが、結局は田舎街の便利屋です。あの子たちを自由にさせてあげることはできない……この街はあの子たちにとって窮屈でしょう」
「あの二人にこの街から出ていけ、と?」
「逆です。いつまでたってもあの子たちの良き住人になれない私たちのほうが捨てられるのです」
ルークの顔に寂しさや歯がゆさが浮かぶ。
「王都はこんな田舎街とは違う、そしてあなたもこんな私とは違う。あなたならあの子たちの自由を、幸せを守ることができますよね」
「自由も幸せも独りよがりの、俺の自己満足かもしれない。でも、あの二人のためなら命を懸けてもいいほど大切に思っていることだけは知っていて欲しい」
それはヒューバートとしては嘘偽りのない言葉。
ヒューバートのその真剣な赤い目を見たルークもそれを理解したが、それを喜ぶよりもヒューバートの殉教者のような雰囲気が可哀そうで、
「未来ある者がそう簡単に命を懸けないでください。みんなで幸せになるんですよ……でもアリシアたちが戻ったら帰ってくださいね」
前半まであった優しさはどこに消えたのか。
「帰れ」というルークにヒューバートは驚き、そんなヒューバートにルークは苦笑する。
「言いましたよね、ここは田舎だと。住民はみな保守的なんです」
「保守的……」
「男女のことに関してはご婦人方など尼僧並。妙齢の男と二人きりだとふしだらな女と罵られ、相手が貴族ならば娼婦扱いです」
「……分かった」
先ほど窓から見えた女性たちを思い出したヒューバートは唇を噛む。
「それなら、よい宿を教えて欲しい」
「マナーハウスが宜しいでしょう。この街にも宿はありますが、宿屋の者はこの街の者ですからね」
「そこまでか……」
「そこまでなんですよ」
苛立ったように髪を乱すヒューバートにルークは笑う。
「愛しき故郷ですが、なかなか厄介で手がかかるんです」
酔夫人のひとりごと
まるで梅雨のような天気ですね。
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