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第17話 紅玉と肉串 【第2章】

七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。
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紅玉と肉串


 ウルミ湖の凪いだ湖面で朝日が煌めく中、荷物の確認をする馬車の脇でヒューバートはアリシアとパーシヴァルに訊ねた。

「昨夜はよく眠れたか?寝不足だと馬車に酔いやすくなってしまうのだが」
「たくさん寝ました、どんなところでも眠れるから」

 誇らしげな様子のパーシヴァルの姿は親の欲目を抜いても可愛らしい。
 アリシアがいつくしむように彼の頭を撫でるのを見ながら、ヒューバートは自分も撫でたいという気持ちを懸命に抑えた。

「私も大丈夫です、お気遣い感謝いたします」
「君たちが大丈夫なら出発しよう。気分が悪くなったら遠慮なく言ってくれ、例え出発直後でもな」

 湖畔を走る馬車の中は前日同様に和やかだった。

 「これが地図?」

 パーシヴァルはヒューバートが見せてくれた地図に興奮していた。
 自分にとって広いと思っていた辺境の街は国の端っこにある小さな点、昨日一日かけて移動した距離も驚くほど短かった。

 世界は広い。
 物語で使い古されたこのフレーズをパーシヴァルは初めて実感した。

「馬車ってすごく速いんだね」
「この馬車が速いのよ」

「うちの馬車を褒めてくれるのは嬉しいが、天候に恵まれたしこの道は大分整備されたからな」

 この街道はつい最近まで未舗装で、雨が降るとあちこちに水たまりができて馬車の進みは悪くなった。
 舗装されても天候の影響を受けるが、舗装されたことでその影響はずいぶんと小さくなり、便利になったこの街道は利用者が増えてその日も朝から多くの馬車が行き来していた。

 馬車は順調に進み、早めのランチを食べたあとも馬車は順調に進んでいたが、湖畔の街と次の街との中間あたりで馬車の進むスピードが一気に落ちた。

 しまいにはピタリと止まる。

「事故でもあったのでしょうか」
「いや、次の街で収穫祭があるんだ。それも見越して早めに出発したのだが、予想以上だったな」

 アリシアの言葉に頷き窓の外を確認したヒューバートは、懐中時計を取り出して時間を確認する。

 次の街の宿は確保してあるので、このまま時間が経過して夜中に到着しても問題ない。
 しかしヒューバートの心の卑怯な部分が「湖畔の街に戻ったほうがいいんじゃないか?」と唆す。

(ダメだ、しっかりしろ)

「このままでは夜遅くに着くことになりそうだが大丈夫か?」
「危険があるのでしょうか」

「周囲に馬車がたくさんあるし、うちには護衛もいるから大丈夫だろう。パッと見た限り同じ様に護衛のいる馬車がちらほら見えるしな」

 コンコンと馬車の窓が叩かれて、小窓を開けるとレイナード家の騎士が顔を見せた。

「私は夜到着でも構いませんが問題が?宿でしょうか?」
「収穫祭のことは分かっていたから先に宿は確保してある。ただあまりに遅いと食事がな」

 宿場町の宿屋は食事時間が終われば食堂を酒場として開放することが多い。
 ヒューバートや騎士たちは酒場に変わっていても気にしないが、女性や子どもをそこに連れていくのは気が進まなかった。

 宿場町に滞在するのは男性が圧倒的に多いため、酒場では酔っ払いや商売女が多い。
 もちろんヒューバートに酔っ払うつもりも、喧嘩をするつもりも、商売女の誘いにのる気は一切ないのだが、精神の安定のためには避けて通りたい。

「露店で食べればいいんじゃない?」
「露店?」

「お祭りなんでしょ?それなら夜になっても露店で何か売っているんじゃない?」
「ヴァル、貴族の侯爵様にそんな場所で食事をさせられるわけないじゃない」

 アリシアの言葉が心に刺さったが、ヒューバートは唇を噛んで傷ついたのを悟られないようにした。

「それなら君もだろう?」
「実情はどうであれ私はずっと庶民として暮らしています。露店での食事にも慣れております」
「俺だって露店での食事に慣れている、いまだって軽く食べたいときは利用している」

 ヒューバートは自分がムキになっている自覚はあったが、何となく引いてはいけない気がしていた。

「よし、夕飯は肉を中心にいろいろ露天で集めよう。この辺りは畜産が盛んだから肉が美味しいはずだ。パーシヴァル、肉串を買うぞ」

「本当?二本買って!」
「二本と言わず、五本でも十本でも、好きなだけいいぞ」

 目元を優しげに緩めたヒューバートがパーシヴァルの黒髪をくしゃくしゃとかき回す。
 その姿をアリシアはぼんやりと見ていた。

 父子の触れ合いはとても自然だった。
 そして母親である自分に見せるのとは少し違う笑顔で甘えるパーシヴァルにアリシアは驚きと羨ましさを感じた。

 パーシヴァルは人に甘えるのが上手い。
 人との付き合いが苦手で甘えるのが下手なアリシアからすると、息子のそんな性格が羨ましくもあった。

 アリシアの羨む様な視線に気づいたヒューバートは口の端を上げてみせ、

「君にも好きなだけ肉串を買ってやるからそんな顔をするな」
「……一本で十分です」

 息子を羨んでいたなんて知られたくないから、ヒューバートの勘違いにアリシアはホッとした。
 しかし、食い意地をはっていると勘違いされるのはイヤだ。

 フンッとそっぽを向いたアリシアの耳にヒューバートの笑い声が届いた。

(ヒューバート様がこんな楽しそうな顔を見せてくださるのは初めてだわ。少しだけ可愛く見えるなんてパーシヴァルに似ているせいね)

***

 ヒューバートの予測よりは早く、彼らの乗る馬車は夜の帳がおりる頃に街の門を抜けた。
 宿の前に馬車を止め、荷物を使用人たちに頼んだあとヒューバートはアリシアとパーシヴァルを連れて露天に向かう。

「美味しい肉串を見つけるには匂いを辿ることが大切だ」
「はい」

 素直に鼻をひくつかせるパーシヴァルにアリシアは笑い、子どものことはヒューバートに任せて自分は祭りの装飾がされた通りを観察する。

 火が灯されている灯籠のおかげで通りは奥まで明るい。
 子どもにとって今夜は夜更かしを許される特別な夜なのだろう、あちこちに子どもがいた。

 粗末な布の上に装飾品を並べた露店の前でアリシアは足をとめた。
 そんなアリシアにこの辺りの民族衣装をきた店主が「お目が高い」と笑いかけた。

「何か欲しいものがあったのか?」

 予想以上に見入ってしまったらしい。
 アリシアが足をとめたことに気づて戻ってきたヒューバートの言葉にアリシアは少し恥ずかしくなった。

 別にこれが欲しかったわけではない。
 ただ、並んだ装飾品のひとつがアリシアの記憶に引っかかったから目に留まっただけ。

「その赤い石のついたブローチをくれ」
「はいよ!旦那さんの目に似た赤いやつだね?」

「ああ、そうだ」
「奥さんの目に似たカフスボタンがあるが、どうだい一緒にどうだい?」

 テンポよく上手に商品を進める店主をヒューバートは「商売上手」とほめると、二つ合わせたものより多めの金を払った。

「釣りはいらない、よい祭りを」

 アリシアが呆気にとられている間にやりとりは終わり、ヒューバートがブローチを差し出す。
 咄嗟に手を出すと、アリシアの手の上でコロンと転がった。

「懐かしいな」
「覚えているのですか?」

「昔、露店で手に入れて君に渡したものに似ている」

 アリシアの手のひらで鈍く光る赤色にヒューバートは眉をしかめる。

「俺は祭りに遊びに行ったからと君に言ったが、本当は仕事をするために祭りに行ったんだ」

「仕事、ですか?」
「王都の祭りでは人手不足の店が多いと聞いてな。まあ子どもの俺を臨時でも雇うところはなくて、露店の店主が同情するように俺に店番を任せてくれた。まあ、売り上げもろくにない店だったから、賃金ではなくて彼の作品を一つもらって終わったがな」

 好きなものをひとつ持っていけ。
 そう言われて最初に思い浮かべたのはアリシアの瞳の翠色のなにかだったが、目に留まったのは自分の瞳に似た赤色の鉱石。

 自分の色をアリシアが持つことに気恥ずかしさを覚え「目についた」なんて理由で渡したことをヒューバートは昨日のことのように覚えていた。

「そうだったのですね」

 あのときのブローチをまだ持っている、とアリシアは言えなかった。

 自分を産んだ母親の故郷までの路銀とパーシヴァルを育てるためにいろいろな物を売ったが、あのブローチだけはアリシアの宝石箱のなかにずっとあった。

 大した目利きではないが、造りが荒く石も鉱石でしかないブローチは二束三文の価値しかない。
 だから売っても仕方がないと自分に言い訳していたことをアリシアはそっと認める。

 宝石箱を開くたびに赤い石がヒューバートの瞳に見えていた。
 それは婚約指輪の代わりに贈られた腕輪のついたルビーよりもアリシアには価値があった。

「道行く人をのんびり眺めるだけの仕事だったが、あれも悪くなかった。おかげで肉串の美味しい店を探すコツも知ったし」
「お母さん」

 ヒューバートの言葉を遮るようにパーシヴァルが駆けてきて、その後ろを護衛のミロが追いかけていた。

「あっちに美味しそうな肉串があったよ、行こう!侯爵様も!」

 元気のよいパーシヴァルにヒューバートは表情を緩め、

「ここで侯爵だとバレると厄介だから、いまだけは名前を呼んでくれないか?」
「名前って、ヒューバート様?」

 そうだ、というようにヒューバートはパーシヴァルの頭を優しくなでた。
 パーシヴァルがくすぐったそうに顔を緩める。

「君も、いいかな?」

 そう問いかけるヒューバートの目に居心地の悪さを感じて、

「はい――ヒューバート様」

 アリシアは目をそらした。

 夜祭で興奮したからか。
 それともヒューバートの名前を久しぶりに呼んだのが原因か。

 おそらく後者だろうと、隣で眠るパーシヴァルの寝息を聞きながらアリシアはため息を吐く。

(恋心は呪いのようね)

 ヒューバートに抱いていた恋心や愛情はアリシアにとって過去である。

 ヒューバートによく似たパーシヴァルと共にあったため完全に忘れることはできなかったが、ヒューバートに感じるものはこの七年で変化した。

 二人の間にはきちんと終わらせられなかった”何か”がある。

 二人の間に漂う恋い慕うような甘いものも、後悔や遣る瀬なさのような苦いものも。
 全てこの”何か”から生まれている。

 いまアリシアがヒューバートに感じるものは恋ではない。

 恋ではないが、むかしもいまもヒューバートほどアリシアを切ない気持ちにする男はいなかった。

酔夫人のひとりごと

 まるで梅雨のような天気ですね。

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