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敗者たちの後日談 (7)フラれ公子、苺の甘酸っぱさによろめく

敗者たちの後日談
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 敗者たちの後日談

 第7話 フラれ公子、苺の甘酸っぱさによろめく


「若旦那様」

 ようやく静かになった隣室にホッとして壁から耳を離したところで、

「コーヒーをどうぞ」
「……ありがとう、セバス」

 ソニック公爵家の執事長セバスチャンからコーヒーを受けとる。
 先ほどの不作法がバレているので、少しだけ気まずい。

「さすが社交界の双頭。それに若奥様とエレオノーラ嬢の有望さ、じいは将来が楽しみでございます」

 隣の騒ぎの原因がティファニーたちだと分かっているのに攻めないセバスチャンの優しさにロークは苦笑する。

「それにしても、大奥様は張り切っていらっしゃいますね」
「待望の娘だからな。実の息子の俺はこうしてほったらかしだ」

 花婿控室には自分たち以外誰もいない。
 隣の花嫁控室の華やかな賑やかさとは真逆の静かな空間となっている。

「家内安全、嫁と姑が仲良しなのはよいことです」

 隣から聞こえてくる母親とルシールが談笑する音にロークは苦笑する。
 頭に浮かぶのは険悪な嫁姑に悩み、家に帰りたくないと残業していく同僚のやつれた姿。

「奥様はこちらに来られないのでしょうか」
「来ないだろうな」

「まあ、待望の娘があんなにお美しい方なら当然でしょうね」

 息子の準備はつまらないといって出ていった母親の後ろ姿を思い出し、あっさりと同意したセバスチャンに「お前もか」とロークは思う。

「美しいね。……彼女が『冷血のビスクドール』と呼ばれていることは?」
「儚げな透明感のある美しさから『硝子人形ビスクドール』と呼ばれるのも納得できますが、私たち使用人にも丁寧に接してくださる温かい方がなぜ『冷血』と呼ばれるかは不思議ですね」

 「本当に噂はあてになりませんね」と笑うセバスチャン。
 一方で、ロークはルシールの本質を見ることなく「冷たい女」と思っていた自分の未熟さを恥じた。

「奥様にとって若奥様は理想の嫁でしょうね。花嫁衣裳を自分も一緒に選ぶんだと言っておられた奥様の嬉しそうだったこと。あの首飾りも、侍女長なんて涙でハンカチを三枚も濡らしていましたよ」

 ルシールの花嫁衣装選びには両家の女性が多く参加していた。
 その理由付けにルシールは自分のセンスに自信がないからといったが、それが嘘なのは誰もが分かっていた。

 四歳から王家の英才教育を受けてきたルシールである。
 その教育内容には服飾に関するものもある。

「ソニック公爵家の子が若旦那様お一人であることから色々察したのでしょう」
「母は俺ひとりを産むのが精一杯だったからな」

 王家の血を繋ぐ役割を持つ公爵家。

 ロークの幼い頃の記憶には、もっと子を持つために父ウィリアムに妾をすすめる母セラフィーナの泣き顔がある。

 ウィリアムはセラフィーナの願いをきかず、親戚に何を言われても母以外の女性を受けいれなかった。
 そのことについてウィリアムは一度だけロークに謝ったことがある。

 自分の気持ちを家よりも優先したから。
 公爵家の責務をローク一人に押しつけた自分の罪を理解していたからだ。

「若旦那様は、全てをお一人に背負わせたお二人を恨んでいらっしゃいますか?」
「別の理由で『くそジジイ』『くそババア』と思うことはあるが、子どもが俺一人という点については全く恨んではいない」

 ロークがそう言い切ると、セバスチャンの目が優しいものに変わる。

「男爵令嬢の件では慌てましたが、坊ちゃまはやっぱり坊ちゃまですね。じいは安心しました」
「……坊ちゃまと言うな」

***

「先ほどの騒ぎ、お気づきですよね」
「ああ……その……」

「大変申しわけありませんでした」

 今回の騒ぎの発端は自分であるのに、なぜルシールが謝るのか。
 あまりのことに思わず「なぜ」と呟くと、ルシールが首を傾げた。

「好きな方を侮辱されれば不快に思うのでは?」
「そういうものか?」

 首を傾げるロークにルシールはキョトンとし、次の瞬間には楽しそうにコロコロと笑う。

 婚約して交流をもつようになって分かったことがある。
 ルシールは意外とよく笑う。

 人形なんて二つ名が似合わない可愛い笑顔で笑うことに最初は驚いたが、半年もすると慣れもした。

「私も分かりませんわ。恋物語を参考にしただけです。ローク様が不快でないなら良いです」
「不快ではない、な」

 ルシールがティファニーを悪しく言っていた。
 そう憤るフレデリックに同調してルシールを悪しく思っていたのが嘘のように。

「それじゃあ、いくか」
「さきほどのことがあるので、より仲睦まじくで構いませんか?」

 ルシールの言葉に同意を示すために腕を差し出す。
 ニコリと笑ってロークの腕に自分の手を置き、前を向いたルシールの横顔は静かだった。

 先ほどの騒ぎなどルシールにとって大したことではない。
 そのことに安堵しつつも、胸にもやっとするものを感じたとき、

(ん?)

 ふわりと鼻をくすぐる甘酸っぱい香り。

 しかし次の瞬間に会場の照明が目に挿しこんで、ロークは腕に力を込めてルシールに合図を送り二人揃って一歩目を踏み出す。

 スムーズで、とても楽だった。
 顔を動かさず目だけで隣を見れば、前を見据える凛とした瞳は高度の淑女去育の完成版。

(これが王太子妃の教育の成果か)

 強烈な光を浴びても乱れない足並み。
 何十人もの視線が突き刺さっても割れない微笑みの仮面。

 王位継承権があるロークも、簡単ではあるが王子教育を受けている。
 その中で王妃は王の庇護を受けるものではなく、唯一王の隣に並べる者だと学んだ。

(共に歩く、か)

 前でも後ろでもなく、自分の腕にぶら下がることなくピッタリと歩く。

 結婚を言祝がれながら考えることではないが、ティファニーとルシールを比べて、ティファニーとここを歩く自分が想像できなかった。

 ティファニーがフレデリックの子を宿し、自分の手が届かない存在になったからか?

 学院時代は、ティファニーの傍にいるだけで気分が高揚し、幸せだった。
 この幸せが永遠で、他の女性と歩く永遠など想像がつかなかったというのに、

(たった半年前だぞ?)

 ルシールとともに歩く未来は想像できる。

 もちろん未来が分かるわけではない。
 ただこうして協力し合い、問題に立ち向かっていけるだろう。

 傷モノ令嬢。
 フラれ公子。
 敗者同士の婚約。

 瑕疵だらけの関係はマイナスから始まったけれど、ルシールとならソニック公爵家をさらに繁栄させられると思える。

(妻、だからか?)

 ロークの両親も政略結婚だったが、親戚の勧めを断って父親は母親一人を大切にしている。
 自分も父親に似て『妻』はそれなりに特別に思うのだろうか。

 披露宴は座席がない立食パーティーだが、高位の者ほど部屋の奥にいる。
 進む先にいるのは王の代理人、フレデリック王太子、そしてその腕に絡まるようにくっついているティファニー。

 ティファニーを可愛いと思う。

 ただそれは審美的な話の域を出ない。
 ただ可愛い、それ以上でも以下でもない。

 かつてティファニーから漂ってきた花の蠱惑的な香りも、ルシールの香水の匂いで自分の鼻には届かない。

(なんだ?)

 目があって、目に笑みを浮かべるティファニー。
 新郎に向けるのに相応しくない婀娜っぽい目に嫌悪感を覚える。

 たった半年。

 何も変わらないのに、全てが変わった気がする。

 いまのティファニーの印象も。
 過去のティファニーとの思い出も。

「ローク様」

 ルシールの小さな声にハッとして、ティファニーから視線を外して目の前をみるとフレデリックがいた。

「結婚、おめでとう」
「ありがとうございます」

 内心はどうか分からないが、フレデリックからの祝いの言葉に二人揃って頭を下げる。

「それでだな……このあと、少し時間をとってくれないか?」
「このあと、ですか?」

 フレデリックの視線がちらりと隣のティファニーに向いて、誘いを断ることを決める。
 甘えるような視線が、かつて「可愛い」と庇護欲を誘ったのが嘘のようだ。

(結婚式の日に何を考えているんだ)

「ローク様、少し早めにさがってもよろしいでしょうか」

 誘いにのって構わない。
 そう言うように引こうとするルシールに、八つ当たりだと百も承知で苛立ちを感じた。

 ルシールにとって自分はそこまで常識のない男なのか?

「申しわけありません、緊張で昨夜あまり眠れなくて」

 結婚式を楽しみにしていた花嫁そのものの表情でため息を吐く。
 その爽やかな色気に周囲があてられ、薄っすら頬を染める様子が苛立ちを加速させる。

「それなら俺も一緒に行こう」

 予想に反する答えだったのだろう。
 完璧な淑女の仮面が外れて戸惑いを見せるルシールににっこり微笑む。

「こんな可愛らしい新妻を一人で放っておけないからね」
「……まあ」

 目元の薄っすらした赤味は化粧ではなく、紛れもない羞恥のもの。
 もしかして、可愛いといったから照れたのだろうか。

(可愛いな)

「さあ、早く挨拶をすませてしまおう。殿下、本日は誘いをお断りさせていただきます」
「ああ、そうだな。無理を言った、忘れてくれ」

 フレデリックの安堵を浮かべる表情に、本人も納得した打診ではなかったことを悟る。
 大変だな、と素直に思った。

「それでは、御前を失礼いたします」

 そう言って体の位置を変えると、ふわりとルシールの香水の匂いが鼻腔をくすぐる。

(なんの香りだっけ)

 視線を巡らせて、テーブルの上に飾られた赤い苺たちに気づく。

「苺の香り、か」

 その呟きにルシールの手がピクリと揺れる。

「食事があるので控えたつもりですが、強く香りますか?」
「いや、一瞬だけ」

 甘くて、爽やかで。
 果実特有の酸っぱさが隠れていて。

(美味しそうな、いいニオイ)

 思わず隣を見てしまうと、ルシールと目があう。
 なんとなく気まずくなって

「私にはあまりに似合わない香りなのですが。お嫌いではありませんか?」
「いや、す……」

(ん?)

 苺のことを聞かれたのに。
 なぜか好きだとは続けられなかった。

continue

酔夫人のひとりごと

 まるで梅雨のような天気ですね。

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