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第4話 妥協と我慢

七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。
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妥協と我慢


「侯爵様、申しわけありませんが急ぎの仕事があるので少し席を外させていただきます」
「こちらが勝手に来たのだから構わない、俺のことは気にしないでくれ」

 気にしないなんて無茶を言う。
 軽い苛立ちを感じながらも、アリシアの感情のままに行動する時期は母親になると決めたときに終わった。

「ありがとうございます」

 イスを立って作業机に向かう。
 そして使い慣れた裁縫道具を取り出すと、少し奮発して仕入れた生地を机に広げる。

(この生地は高い、いつもの三倍……失敗は赤字、赤字)

 集中するために深呼吸をし、先日引いた線に合わせて鋏をあてる。

 ショキショキ……ショキショキ……

 今では慣れ親しんだ音を聞いていると、アリシアの中のごちゃごちゃした感情が整う。
 そして思ったより緊張して体を強張らせていたことに気づく。

(結婚式のあとに初夜をすませて)

 ジョキンッ

(……それ以来だもの、緊張も気まずさも仕方がないわ)

 狂った手元に慌て、鋏の刃があたっていた部分の布を確認して線からずれていないことに安堵する。
 鋏は無事に反対側の端に到達していた。

 この状況で冷静に仕事をするのは無理だ。
 アリシアは高価な生地を扱うことをやめ、パーシヴァルに頼まれたハンカチの刺繍の続きをすることにした。

 息子の名前を、彼の好きな青い色の糸を丁寧に重ねて文字にしていく。

 パーシヴァルは幾夜も肌を重ねた結果に生まれた子どもではない。
 ヒューバートとアリシアが肌を重ねたのは初夜の床だけ、パーシヴァルはその一夜で宿った子どもだった。

 何年も子どもができずに悩む夫婦もいる。
 貴族は子どもができないことを理由に離縁することも少なくない。

 そう考えれば一夜で授かるのは奇跡だとアリシアは感じていた。

 しかし、奇跡だろうとなんだろうとパーシヴァルはこの保守的な街で忌避されている。

 この街では両親が揃っているのが普通。
 死別や時代の変化にあわせて離縁は”しかたがない”と妥協されるが、父親の顔も分からない子どもは別だ。

 しかもアリシアは余所者。
 余所者に私生児と、アリシア母子を取り巻く環境は芳しくない。

(ほら、もう噂になっている)

 窓の外、顔や名前は知っているが大して話したことがない女性たちがこちらを見ている。

 窓辺にはひと目で貴族とわかるヒューバート。
 外にいる護衛騎士二人と侍女を見れば、ヒューバートが裕福な貴族であることも直ぐわかる。

 おかげで女性たちの目にはいつもの軽蔑だけでなく、嫉妬の炎も灯っている。
 あることないこと囁かれるのだろう、アリシアは内心でため息を吐いて理不尽さに対する怒りを鎮火した。

 この街にきた日から、アリシアは誰かに監視されている気分だった。

 彼らの価値観に合わない行動をしたら瞬く間に囲まれて糾弾される。
 それは不快であったが、他に行き先のないアリシアは黙って耐えて、異端にならないように努力した。

 その努力は仕事の影響でムダになったが、パーシヴァルがある程度育つまでは追い出されずにすんだのだからよしとしていた。

 アリシアと交流を持つ町の人はとても少ない。
 その数少ない一人であるジーンはこの街の出身ではあるが、二年ほど前まで王都で働いていた影響でこの街から出たことのない他の人に比べると見識は広い。

 そんなジーンでもアリシアを余所者扱いをする。

 ジーンは無意識だろう。
 実に自然に言うのだ、「アリシアは余所から来たのだから仕方がない」と。

 余所者というだけで線を引く。
 理解しようとしないし、理解されようともしない。

 仕方ない、それですませる。

 そう言われるたびにアリシアは思う。
 この街は自分たちがいる場所ではないな、と。

(パーシヴァルも初等学院に行く年齢になるし、そろそろかもね)

 アリシアには計画があった。
 それに必要なものは着々と準備できている。

 実は二年前にはもう実行にうつせたが、アリシアは個人的な思いからそれを躊躇した。

(ちょうどよかったかも)

 アリシアは窓の外の何かをぼんやりと見ているヒューバートに目を移す。

 いま思えばいつもアリシアに変化を起こすのはこの男。
 そう思うとアリシアは何だか可笑しかった。

***

(あまりいい雰囲気ではないな)

 アリシアを見ていたい気持ちもあったが、仕事の邪魔をしてはいけないとヒューバートはアリシアが席を立ったところからずっと窓の外を見ていた。

 それで気づいた。

 通りの向こう。
 自分の母親くらいの年齢の女性たちが数人集まり、こちらを見てはヒソヒソと何かを話している。

 視線はウロウロ、自分とアリシアを行ったり来たり。

 アリシアに向く視線は軽蔑、嘲笑、そして嫉妬。
 嫉妬の理由は自分に向く視線で気づく、粘りつくような”女”の視線。

「侯爵様?」

 立ち上がると刺繍をしていたアリシアがこちらを見て首を傾げたが、「少し」と理由を濁して入口に向かい、外に出て騎士の一人の立ち位置を変えさせる。

 そうして戻ったヒューバートを迎えたのはアリシアの苦笑だった。

「いちいち気にしては大変ですよ」
「いつもこうなのか?」

「今日は侯爵様がいるからいつもより……私はこの街では余所者ですから」
「……余所者」

 田舎町ですから、とアリシアは笑う。
 それが何ともやるせなかった。

(この街でアリシアは、子どもは幸せになれるのか……二人が望めば、いまの俺なら……)

 子爵家からの資金援助ではじまったアリシアとの婚約。
 その婚約はアリシアの成人をまつ七年という長い時間の間に形を大きく変えた。

 学院時代に立ち上げたヒューバートの商会が商売で成功して巨万の富を築いたからだ。

 その結果、アリシアと結婚する予定の一年前には子爵家からの援助は不要となった。

 それでも結婚式が行われたのは、二人の婚約が神殿で交わした契約だったからだ。

 神殿で交わした正式な契約は重く、貴族の婚約は「双方の家門の当主の同意がない限り絶対に破棄できない」と決められていた。

 レイナード侯爵家の当主であるヒューバートの父は無関心だからどうにかなったが、コールドウェル子爵家の当主であるアリシアの父親はその頃一代で作り上げた膨大な借金で首が回らない状態。

 絶対に婚約破棄に同意しない。
 金の卵となったヒューバートの骨の髄までむしゃぶりつくそうとするほどだった。

 こうして二人はアリシアが十八歳になってすぐに結婚した。

酔夫人のひとりごと

 まるで梅雨のような天気ですね。

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