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第28話 花咲く庭の夢幻 【第2章】

七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。
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花咲く庭の夢幻


「出発する前だが、少し宿の庭を歩かないか?」

 ヒューバートの目から何かを感じたアリシアはパーシヴァルを理由に逃げようとしたが、

「僕、ステファン様と一緒にセロシア号のところにいってくる」

 そう言ってパーシヴァルはアリシアの手を離して先を走っていく。
 男の子はこうやって独り立ちしていくのだとアリシアは少し寂しくなった。

「きれいな庭ですね」
「花色の街の名前通りだな、公園に限らずどこの庭もキレイだ」

「あの……昨夜はお見苦しい姿を晒してしまいまして」
「俺の方こそ……酔って判断力を失った君からあれこれ聞き出してしまって」

 謝罪合戦はしばらく続いたが、「この辺で」という雰囲気からヒューバートが先に進む。

「出発したら、今日中に王都につく」

 時計の街も花の街も、王都の隣にあるティルズ公爵領の街。
 交通量が多くて馬車が進みづらいだけで、隣の時計の街から王都までの間はそんなに距離はない。

 出発がのんびりなのも、午前中は商人の出入りで門が混むからという理由で出発を遅らせただけ。
 お昼を食べて出発してもその日のうちに王都につく。

「ここで君の心の内が聞けてよかった」

 アリシアの気持ちを知らなくては行動を起こせない自分をヘタレだと思いながら、

「アリシア、このまま王都で暮らさないか?俺は、二人に王都にいて欲しい」

 貴族的な遠回しな会話などせず、自分の希望と気持ちを素直に言う。
 下手に飾って、「そんなつもりはなかった」みたいな逃げ道を迂回する余裕がヒューバートにはない。

「仕事面でも王都を拠点にすることは悪くないはずだ。店の場所もその費用も、相談に乗るし、援助だってミセス・クロースならば不要かもしれないが必要ならいつでも、いくらでも」

 商会員の勧誘のような台詞にヒューバートは苦笑する。
 華やかな女性遍歴を誇る親友に『女性の口説き方』を習っておけば良かったと後悔したが、似合わない真似はやめた。

 下手でもいい。
 自分の言葉で言いたいこと全てを語る。

「急な話かもしれない。でも夜には王都に着いてしまうから、格好悪いけれどここで縋らないと……時間をかければ上手に口説けるかと言えば、そんな自信もないが……」

 アリシアの唇が震えたが、緊張していたヒューバートはそれに気づかなかった。

「君にしたこと、君たちにしなかったこと、悔やんでも悔やみきれない。でも君を見つけた、君たちに会えた。虫のいいことだと分かっているけれど、これから先ずっと君たちを見かけることすらない生活を送るなんてイヤなんだ」

 アリシアはヒューバートの責任感の強さを知っていた。
 そんな彼に『子どもの父親になる』という選択肢を押し付けたのは自分だとアリシアは痛感した。

「……申し訳ありません」
「謝るな、謝る必要はないし、謝ってほしくない。俺が決めたことだ。君たちのことを知ったとき俺は無視することができたんだから、だから会いに行ったのは俺の意思だ。子どもの父親になりたいというのも俺の意志だ」

 ヒューバートは素早く深呼吸をして、アリシアの名前を呼ぶ。

「アリシア」

 アリシアが目を合わせるのを待つ。

 時間にすればほんの数十秒。
 それでもヒューバートにとっては人生で最も長い数十秒だった。

「君に伝えたい。いまさらで、調子がよくって、信じてもらえないかもしれないけれど、ずっと言いたかったこと。身勝手だと百も承知の、恥知らずな男の……本音?」

 アリシアの視線に耐えられなくなったのはヒューバートのほう。
 日和って誤魔化し気味になってしまった語尾に、思わず俯きそうになった視線をぐっと堪えてアリシアを見据える。

「俺は君が好きだ。気づいたのが結婚式という大馬鹿者だけど、どうしようもなく、今この瞬間も君が好きなんだ」

 結婚式に恋心を自覚して、その数日後に失恋した。

 恋をしていたから、アリシアとの離縁を受け入れた。
 唯一アリシアがヒューバートに望んだことが離縁だったからだ。

 恋をしていなければ、愛していなければ離縁はしなかった。

 結婚そのものもしていなかったかもしれないが、それは今回問題ではなく、「七日間で離縁など世間体も悪い」「商会の運営に悪影響がある」などと言って離縁の提案を受け入れなかったはずだ。

「同情や罪悪感では?」
「俺の君が好きだという思いの中に同情や罪悪感が全くないとは言わない。でも、それの何が悪い?キッカケや理由なんていろいろだろう?結局はいまの俺がいまの君をどう思っているかで、いまの俺はいまの君が好きで」

 「ここが好き」と明確に好きの理由を言えるのは少年少女だけ。
  これが好きの理由だなんて言えるものは大人になればなくなる。

 「可愛いから」とか「優しいから」みたいな、純粋なきれいな思いだけの恋は二十代には難しい。

 同情から始まる恋もあれば、罪悪感から始まる贖罪めいた恋もあるだろう。
 それでも恋は恋だからと、開き直る強さと狡さが大人の恋愛には必要で、

「七年間、ずっと君が恋しかった」

 仕事の移動中に咲く花を見てアリシアを思い出した。

 もらった菓子の甘さに、アリシアが好きそうだと思ったりした。
 読んで楽しかった本の話、成功して嬉しかった仕事の話、レイナード邸の番犬が産んだ子犬の話。

 婚約時代に交わした文通のように、日常の他愛のないことをアリシアと共有したい思いが募っていた。

「これが俺の恋だ、これは君にも否定させない」

(夢を見ているのかしら)

 季節の花が咲き乱れる楽園の様な庭。
 初恋の相手で、いまでも特別に思うヒューバートから告白される。

 夢のようなシチュエーション過ぎて現実的でなさ過ぎる。

 アリシアだってもう二度と恋をしないと決めたわけではない。
 しつこい誘いに「子どもがいるので」とパーシヴァルを理由に断ったことは何度もあるが、パーシヴァルをアリシアが恋をしない理由にはしていない。

 ただ恋をしなかったのは、恋したいと思える相手がいなかったから。
 かつてヒューバートに恋したときのように心が揺れなかったから恋をしなかっただけなのだが、

(ドキドキするわ)

 七年間ピクリとも揺れなかったアリシアの心をヒューバートはあっさり揺らす。

 再会したときから揺らめかされた。
 神剣な瞳で告白されたこの瞬間、崖から転落している真っ最中のようにガランガランと揺れている。

「もう……どうして……」

 自分の心に正直になれば、ヒューバートの告白は嬉しい。

 初めて恋した頃の少女の自分が狂喜乱舞する姿が想像できるほど嬉しい。

 『好きだ』とか『愛している』とか、ずっと聞きたかった言葉だった。
 政略なのだから望んではいけない、元妻の自分が望んではいけない、そう自分を戒めていたけれど、

「どうして『いま』なんですか」

 アリシアの瞳に盛り上がった涙を見た瞬間、ヒューバートの手が勝手に動いた。

 頬を流れる涙を止めるために、その手はアリシアの頬に触れる。
 男性が女性に許可なく触れることはマナー違反だが、愛しい人の慟哭はそんな教育をヒューバートに忘れさせた。

「アリシア」

 ヒューバートの口からアリシアの名前が零れ落ちれば、反射的だろうか、アリシアが甘えるようにヒューバートの手に自分の頬を擦り付ける。

(好意がない相手にすることではない……よな?)

 婚約者同士だったころ、アリシアが自分に対して政略以上の感情、いわば『好意』を持っていることは何となく感じていた。

 ベッドでアリシアを見下ろしたあの夜、あの夜のことは夢中だったからあまり覚えていないが、自分に向けられたアリシアの瞳には熱さと甘さがあったことをヒューバートは覚えている。

 しかし、あれから七年たった。

 思春期をとうに脱した今の自分には、アリシアの行動に『好意』以外が理由も見つけられてしまう。
 過去の記憶に刺激されただけとか、他人の体温が気持ちいいとか。

 こうやって彼女が自分に甘えるのは過去が刺激したからだろう。
 アリシアももう大人の女性であり、触れた他人の温もりを惜しんだだけかもしれない。

(……なんでもいいか)

 手を滑らせて彼女の金色の髪に差し入れ、反対の腕でアリシアの体を抱き寄せる。
 拒絶されれば直ぐに離すつもりで、アリシアの反応を確認するために少しだけ力を込める。

 拒絶する様子がなかったので、力を込めてアリシアの髪に自分の顔を寄せた。

「――結婚してくれないか?」

 雰囲気と状況に任せて言ってしまったことに一瞬慌てたが、本音であることは変わりないのでヒューバートは開き直った。

 心のどこかで勝算があると思っていたのかもしれない。

「……すまない……いや、ごめん」

 腕の中のアリシアがガタガタと震え出し、首を何度も横に振る様子に傷つく自分をヒューバートは身勝手だとわらった。

「俺が急ぎ過ぎた。直ぐに返事はいらないから考えて…………アリシア?」

 アリシアの反応がおかしいことに気づいたヒューバートは急いで腕の力を緩めてアリシアの顔を覗き込む。
 そして顔色の異常な青さに唖然としていると、その隙をつくようにアリシアは二人の間にあった自分の腕を思いきり伸ばして距離をとった。

「無理です……離縁し、て……七日間の花嫁は恥……私の所為でまた……ヒューバート様、が……笑われ……」
「アリシア!」

 アリシアが腕を目いっぱい伸ばしてもヒューバートの方が腕は長く、ヒューバートはアリシアの肩に手を置いて、喘ぐような荒い呼吸の中で必死に話すアリシアをなだめる。

 異常な様子にヒューバートも気が動転していたが、必死に冷静を保っていた。

「私は、……う貴族じゃな、あ………パーシヴァ……ダメ……」

 ヒューヒューと耳障りな呼吸音が響き、アリシアの眼から焦点が消える。

「……ダメよ、いや……」

 アリシアの喉からヒュッと空気の音がして、

「アリシアッ!!」

 仰け反ったアリシアを支えたヒューバートは、腕にズシリとかかった重みに顔をしかめ、覗き込んだ顔の青さに慌てて抱き上げた。

酔夫人のひとりごと

 まるで梅雨のような天気ですね。

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