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第27話 恋の呪い 【第2章】

七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。
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恋の呪い


「二日酔いかい?」

 普段通りを装っていたアリシアだったが、絶えず襲う頭痛に苦しんでいた。
 頭の中で冷静な自分が「なるほど、これが二日酔い」などと理解してもいたが。

「昨夜、ヒューバート君が抱きかかえて帰ってきたときは驚いたよ」

 服は昨夜のまま。
 さらに宿に帰ってきた記憶すらないのだからヒューバートが連れ帰ってきたと考えるのが自然。

(抱き抱えられて、しかもそれを見られるなんて……なんてこと)

「私の醜態を忘れていただくか、私のために深い穴を掘っていただけませんか?」

 項垂れるアリシアにステファンは同情するように笑いかけ、「大人の世界へようこそ」とおどけた。

「酒で失敗して人は初めて一人前になれるのだよ」
「……それは誰の言ですか?」

「ステファン・イル・ティルズの言。つまり、僕の経験談だね」

 楽しそうに笑うステファンをアリシアは恨めし気に見たが、頭痛に耐えかねて唸るのが精一杯だった。

「酔っ払いには”覚えている派”と”忘れる派”がいるんだけど、アリシア嬢は覚えている派か」
「公子様はどちらなのですか?」

「僕は忘れる派。覚えている派の友人は羞恥心で死ねるってよく言うんだけど、本当?」
「そのご友人に同意いたします」

 よく言っているならば酒を止めれば良いのにと思う。
 しかし他人ひとには他人ひとの事情があると思ってアリシアは黙っていた。

「さて、薬を用意しよう。いまの症状は?」
「頭痛がひどいです」

「吐き気は?」
「ありません」

 「それならこっち」といって渡されたのは赤黒い丸薬。

「うちの秘伝の薬。ちなみに吐き気あるの場合は液体なんだけど、あっちよりは大分マシだから安心して飲んで」

 かなり大きな丸薬を見ながら「どこがマシなのです?」と尋ねる。

「味。液体のほうは甘くて、酸っぱくて、苦くって……えぐみもあるから口の中にしばらく味が残る」

 吐き気が無いことを神に感謝しながら、侍女から水を受けとったアリシアは丸薬を飲む。
 少し水に溶けたからか苦味を感じたが、それですんでホッとする。

「一時間もすれば頭痛が消えて馬車にも問題なく乗れるよ。もう一日この街に滞在してもいいけれど、手続きを早くすませたほうがいいと思う」

 ステファンのにこやかな表情と気負いを感じない声はいつも通りだが、ほんの少し瞳がかたい。

「何かあったのですか?」
「ないよ、まだね。ヒューバート君の指示でレイナード侯爵家と商会が上手に情報を抑えていたからね。ただ昨日いくつかの組織が王都を出た、目的は分からないが警戒したほうがいい」

「ご迷惑をおかけして……」

 昨夜のワインによる醜態も重なって、アリシアは自分でも驚くほど気持ちが落ち込んだ。

 全ての責も負担も自分が負うと決めた始めたこと。
 それなのに現実ではこうしてヒューバートの手を借りている。

「別にいいんじゃない?ヒューバート君は君たちのためにできることがあって喜んでいるし」

「……喜んでいる?」
「うん、めちゃくちゃ浮かれているよ」

「お気遣いありがとうございます」

 真実を言ったのに、嘘だと思われてしまった。
 気遣いで片づけるアリシアにステファンは内心苦笑する。

 ステファンは嘘を言っていない。
 ヒューバートをずっと傍で見てきたのだ、ウキウキと母子の世話を焼くヒューバートの姿は涙が出るほど嬉しいのだ。

「侯爵様はどこに?」
「僕が最後に見たのは、馬車のところかな」

「馬車?」
「鼻歌を歌ったと思えばズブズブッと落ち込んだりして、百面相しながら馬車の掃除をしていたよ。昔から何かを考えるときは掃除したり、洗濯したり、何かしていないと落ち着かないみたいなんだよね」

「鼻歌……それは人違いでは?」

 喜怒哀楽がないわけではないが、アリシアから見たヒューバートは感情をあまり表に出さない。
 鼻歌などもっての外だ。

「君の前では格好つけているかもしれないけど、僕からみれば彼は喜怒哀楽が顔に出るタイプだよ。とくに今は貴族としては致命的なくらい感情がダダ洩れ、まあ恋愛中だから仕方がないよね」

 ステファンの言葉をアリシアは反射的に否定しようとした。
 しかし、昨夜抱きしめられたヒューバートの温もりが否定させてくれなかった。

「少し真面目な話を……いいかな」

 真面目な顔にアリシアはどきりとする。
 普段飄々としているから真面目な顔はギャップが大きい上に、独特の威圧感にアリシアは自然と背筋が伸びる。

「君は、これからどうする?」
「王都にいって元子爵家の籍を抜ける手続きをします」

「鈍感なふりはよくないな。ヒューバートやレイナード侯爵家との関係だ」
「まだ……どうするかは分かりません」

「質問を具体的にしよう。ヒューバートがパーシヴァルに家督を継がせたいと言ったら?」
「パーシヴァルが望むなら」

「ヒューバートが誰かと再婚したら?」
「それについては何も言えません。ただ再婚もしてパーシヴァルも望まれるのは、例えパーシヴァルが望んだとしてもおもしろくありません」

 パーシヴァル自分ではない誰かを「母」と呼ぶ。
 それが例え便宜上であっても、アリシアには受け入れがたかった。

「いまはパーシヴァルが幼いからそう思うのでは?」
「そうかもしれませんが、時間が解決する問題かどうかは時間が経たないと分かりません。いえ、考えたことがないというのが正直なところです。私は侯爵様が私と離縁後に再婚すると思っていましたが、私以外の誰かがパーシヴァルに母と呼ばれるということは考えたこともありませんから」

 アリシアの言葉にステファンは鷹揚にうなずいた後、表情をガラリと変えていままでのステファンになる。
 まるで別人のようにステファンを取り巻く空気も変わる。

「ヒューバート君が緑の刺繍入りのハンカチを持っていたから、もしかしてと思ったんだけどね」
「……侯爵様は私の運命の相手ですもの」

 緑の刺繍については原作にはないが、『運命の相手に贈る』と言われている。
 それは劇のアドリブから生まれた風習。

 生み出したのは一人の女優で、彼女は恋人役の男性に赤い刺繍をしたハンカチを渡すシーンで、緑色の刺繍をしたハンカチを取り出した。

 本番で起きた珍事に会場は騒めいたが、彼女は気にせず舞台袖にいた劇作家の男性に差し出した。
 彼女は彼に『あなたの生み出す言葉は私の魂を震わせます。私の為に一生綴ってもらえませんか」と求愛したのだ。

 彼女の告白に劇作家の彼はもちろん驚いたが、彼女の求愛を受け入れた。
 彼もまた一目みて彼女の虜になり、彼女のために言葉を綴っていたのだから。

 こうして伝説の舞台が生まれ、運命の相手には緑の刺繍を贈るという風習が生まれた。

「私にとってあの方はずっと特別な存在ですわ。七年間の婚約期間も、離縁後の七年間も」

 忘れたくても忘れられませんわよね、と自嘲的なアリシアにステファンは頷く。

「パーシヴァル君、ヒューバート君に瓜二つだもんね」
「この七年、他の男性に興味を持たなかったわけではありません。でもパーシヴァルを見るたびについその方とヒューバート様と比べてしまって……違うなと思ってしまうのです。結局、好意までならずに七年間ずるずると」

 なぜステファンに恋の相談をしているのか?
 アリシアは首を傾げたが、少しずつ心が軽くなるのを感じて、誰かに聞いて欲しかったのだとアリシアは思った。

「恋って難しいよね、意識してできるものでもないし」
「忘れられないうちは細く長く尾を引きます。忘れると嘘みたいにその恋心が消えると聞いていますが、まだ私には分かりません。あの子を産むときは意地もはっていましたし」

「恋は素敵だと常々思うけれど、どうしてか君たちの恋を羨ましいとは思わないな」
「意地によって複雑化した恋心は呪いと変わりないからですよ」

 七年間の空白があっても、心の奥底で燻り続けていた種火。

 離縁したあと妊娠が分かり、恋の続きを期待しなかったといえば嘘になる。
 子どもがいれば、アリシアにはヒューバートの傍にいられる理由ができた。

 でも恋の続きは拒否された。
 アリシアはヒューバートを箱にしまったが、パーシヴァルの存在が箱が完全に閉じるのを防ぎ、いつまでたってもヒューバートが誰とも再婚しないことがアリシアに”もしかして”を抱かせた。

 消滅しきれなかった恋の炎。
 ただ物分かりのいい大人のふりをして、気づかないふりをしていただけだった。

酔夫人のひとりごと

 まるで梅雨のような天気ですね。

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