PR

第1話 田舎の洋裁店

七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。
この記事は約6分で読めます。

第1話 田舎の洋裁店


「アリシア、店の前に人がいたわよ。護衛付きで、大物って感じだったわ」
「ありがとう、急いで行ってみるわ」

 アリシアは洗濯物を干していた手を止め、隣人のジーンの言葉に礼を言うと、残っていた洗濯物を手早く干して出勤する準備をした。

 家を出て店に向かうと、大通りに出たアリシアに町の人の視線が一斉に集まる。

 この街に来た最初の日から、何年経っても変わらない光景。
 この辺境の宿場町にやって来たアリシアは、昔なじみで構成された住民たちにとって『余所者』だからだ。

 ジーンのようにアリシアに対して好意的な人は少数派。
 多くは遠巻きにアリシアを見て、ヒソヒソと話をするのが常だった。

 この街でアリシアは洋裁店を営んでいる。

 その店を街の人が利用することは滅多にないが、この街を通る街道をいく旅人を相手に仕事をしてアリシアは生計を立てていた。

 旅人たちも最初は「美人の店主がいる」という噂をもとに好奇心で店にきていた。
 適当な口実で頼まれた些細な補修でも丁寧に対応しているうちに、アリシアの仕事を気に入ってくれた旅人たちの口コミで客が増えていった。

 アリシアも手先が器用で、裁縫は得意だからと始めたこの仕事。
 商売として始めたときは仕事をこなすだけで精一杯だったが、仕事に慣れ始めると余裕も出てきて、旅人は一期一会の客人だけどせっかく来てくれたのだからとオマケをつけた。

 彼らの旅が少しだけ楽に、実のあるものになるように願って。

 膝が痛いという旅人には、膝部分を厚地の布で保護をした。
 御者の手袋にはクセに合わせた保護布をあてた。

 特に何も言わずにやったことだが、あとでそれに気づいた旅人たちはまたこの街に来たときは「ありがとう」というためにアリシアの店にきてくれた。

 定期的に街道を通過する商隊の人たちが常連客となり、定期収入ができたアリシアの生活は格段に楽になった。

 この頃、この街を含む地域を治めていた領主が代わった。
 不祥事による領地の返還だったためこの街は王家の属領地になり、この街の近くの丘に建っていた元領主の別荘は上流階級の人たちを対象にした宿泊施設になった。

 それがこの街の大きな変化のキッカケになった。

 この街は国境に最寄りにあり、裕福な旅人たちはこの宿に泊まりながら街の店で旅の準備を整えるようになった。

 もともと旅人たちがよく利用していたアリシアの店の客は増え、経済的に余裕がある彼らの消費のおかげで店の売り上げは大幅に増えた。

 アリシアの店同様に他の店の売り上げが伸びたかというと、そうでもない。

 理由は街の住人たちの排他的な気質である。
 この街の住人にとって旅人は客ではなく余所者で、彼らの余所者だと拒絶する態度が客の足を遠のかせてしまった。

 やがてアリシアの店に貴族も出入りするようになると、アリシアは「うまくやっている」と嫉みの対象となり、街の住人により一層遠巻きにされるようになった。

 アリシアも最初は寂しさやもどかしさを感じたが、結局は諦めた。
 過去が変わらない以上、アリシアはこの街の住人が嫌う余所者から変わることはないからだ。

 この街出身の男性と結婚することも考えた。
 でもそうした花嫁が子どもを産んでも余所者扱いされているのを見てその案を捨てた。

 アリシアは店の客を旅する商人や貴族として、客から旅に関する生きた知識を学んだ。
 そしてその知識を次の仕事にいかし、どんどん顧客を増やしていった。

 この頃になると「評判のアリシアさんは?」と店の扉が開くようになり、「評判の美人さんは?」という人はいなくなった。

 アリシアの作ったものを商品として卸す商人も増えていった。

 旅人に人気の刺繍入り手袋は、それを売る商人が手袋の補修をお願いしたときの「他の人の手袋と間違いやすい」という一言でアリシアが入れた彼の故郷の言葉で刺繍された旅の無事を願う言葉がはじまり。

 赤ん坊のいる家庭に人気のおくるみや肌着は西の地方から入ってくる珍しい柔らかな布で作られたもので、その珍しい布はケガをして街に長く逗留することになった西から来た商人に「手持無沙汰なら」といって生まれてくる彼の子どものための肌着の作り方をアリシアが教えたことをキッカケに破格の卸値でアリシアに納められるようになった。

***

「お待たせして申し訳ありません」

 店の前で待っていたのはマント姿の四人。
 特に風も日差しも強くないが全員フードまで被っていたので顔は分からないが、体格から男性三人に女性が一人だと分かった。

(貴族のご夫人と、その護衛の方々かしら)

「いらっしゃいませ、私が店主の……」

 アリシアは女性に向かって話しかけた。

 一番扉の近くにいた男性らしき影が動いたが、アリシアはそちらに目は向けなかった。
 ジロジロ見られると集中力が削がれて護衛がしにくいと、商人を護衛する仕事をしている人にに聞いたことがあるからだ。

「アリシア」

 だから注意が向いていなかった。
 不意を突かれてしまった。

 この街で聞くはずのない声に名前を呼ばれ、扉を開けて店内に招き入れようとしていたアリシアの手が止まる。
 声のしたほうを見ると、静かに自分を見る男性の赤い瞳と目があう。

「どうして……」
「……久しぶりだな」

 アリシアの瞳の中で男性がフードをとると、その黒髪が風に揺れた。
 この信じられない状況に戸惑い、「風が出てきた」なんて現実を直視できずにアリシアが呆然としていると突然強い風が吹いた。

 ガタンッと風にあおられた扉が大きな音を立て、

「危ない!」

 焦った声と同時に強い力で引っ張られたと思ったら、鈍い大きな衝撃で体が揺れた。

「……大丈夫か?」

 どのくらい時間がたったか分からない。 
 でも体に直接響いた男性の声に、アリシアは自分が彼の腕に抱き込まれていることを理解して、慌てて目の前の広い胸を両手で押して体を離す。

 強く閉まる扉から守られたのは分かる。
 しかし静まり返った店内で二人きりは気まずい。

 呼吸や心臓の鼓動が聞こえそうなほどの近くにいるこの状態には戸惑いしかなかった。

 懐かしいコロンの香りにアリシアは眩暈がした。
 夢ならいいのにと思いながらも、脳の冷静な部分が「夢なわけない」叱咤する。

(落ち着くのよ)

―――貴族女性たるもの、いついかなる時も感情を殺して優美に微笑まなければなりません。

 不意に聞こえてきたのは家庭教師の教え。
 体に叩き込まれた教育の成果に感謝しながら、アリシアは顔の筋肉を動かして貴族的な微笑みを浮かべる。

 それに怯んだのは男のほうだった。

 しかし男も貴族男性。
 受けた教育を遺憾なく発揮して表情を無くしたが、

「いらっしゃいませ」
「久しぶりだな」

 先ほどと同じ挨拶を繰り返した男に、この人も緊張することがあるのだと何となくアリシアの体から少しだけ緊張が抜けた。

 そして、改めて目の前の男を観察する。
 久しぶりに見るその顔は相変わらず端整で、アリシアの記憶の中の二十歳のときより精悍さが増し、男ぶりが際立っていた。

 オーダーメイドとひと目で分かる肢体にピタリと合ったスーツ。
 磨き上げられたピカピカの革靴。

 いちぶの隙もない姿だが、さきほどの風の所為で乱れた髪がとっつきにくさを緩和していた。

「アリシア」

 名前を呼ばれてアリシアは可笑しくなった。
 あまりに自然に呼ぶから気づくのが遅れたが、男とはもう『アリシア』と名前で呼ばれる間柄ではない。

 名呼びは親しい間柄に限る、それは貴族として最初に叩き込まれる礼節。
そしてそれがアリシアの体を動かす。

 質素なワンピースのスカートの端を摘まみ、左足を右足の後ろに引く。 
 右足の膝を軽く曲げると筋肉が僅かに震え、アリシアは初めてこれを習った頃を思い出す。

「ご無沙汰しております、レイナード侯爵様」

酔夫人のひとりごと

 まるで梅雨のような天気ですね。

ブログランキング・にほんブログ村へ

当ブログは「日本ブログ村」に参加しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました