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第3話 七年後の元夫婦

七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。
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七年後の元夫婦


 レイナード侯爵家の嫡男で十三歳のヒューバート。
 コールドウェル子爵家の一人娘で十一歳のアリシア。

 二人の婚約はレイナード侯爵家とコールドウェル子爵家の双方に利益のある政略的なものだった。

 コールドウェル家の爵位は子爵だが、優秀な先祖のおかげで領地持ちの貴族。
 優秀な先祖はそれを上手に運用しながら莫大な資産を築いていた。

 しかしアリシアの父はとことん堕落した人間だった。

 領主の仕事は領官に丸投げして、酒・女・賭けにはまって資産を湯水のように使う。
 プライドが高く野心もある彼は資金援助をエサに上位の伯爵家出身の令嬢を妻にしたが、一人娘のアリシアはその妻が生んだ嫡子ではなく子爵邸の下女が生んだ庶子だった。

 子爵がアリシアを娘として届け出たのは責任感などではない。
 産後の肥立ちが悪かった実母は間もなく亡くなり、行き場を失ったアリシアを養子に出すのも面倒だという理由だった。

 娘なら政略の駒として使える、そういう野心もあったのだろう。
 一度も抱いてあやすことなく乳母と侍女に任せて育った赤子が美しい少女だと知った子爵はとても喜んだらしい。

 子爵はアリシアの結婚相手を選んだ。

 資産だけでなく社会的地位も、何人もの男を天秤にかけた。
 そして天秤を傾けたのがレイナード侯爵家の嫡男ヒューバートだった。

 レイナード侯爵家は開国からある由緒正しい貴族家だが、ヒューバートの曽祖父の代から領政があまりうまくいっていなかった。

 レイナード領は冷涼な気候で農作物が育ちにくく、特産といえる産業もない。
 あれこれやって成功したり失敗したり、運任せな自転車操業に限界がきたのはヒューバートの父親が爵位を継いだ頃だった。

 ヒューバートの父親である先代侯爵は楽天家で、自分をとことん甘やかすタイプの人間だった。
 「父上もどうにかなったのだから僕も大丈夫」という根拠なき不思議理論で借金を重ね続けた。

 銀行にこれ以上融資できないと言われるまで大丈夫と思い続け、借金さえできなくなって先代侯爵は初めて焦った。

 資産はない、借金を返す当てもない。
 そんな侯爵家にも「売れるもの」がひとつだけあり、それが長男ヒューバートの婚約者の座だった。

―――コールドウェル子爵令嬢との婚約が決まった。

 ヒューバートがそれを聞いたのは、理由も分からず乗せられた馬車で子爵邸にいく道中だった。
 子どもの頃から聡かったヒューバートは自分の婚約は政略的なものになると理解していたが、前ぶりなく突然告げられた上に良い噂のないコールドウェル子爵の娘と聞いて落ち込んだ。

 そんなヒューバートの心境を無視して馬車は進む。
 子爵邸の高い塀が日を遮ることで薄暗い陰気な道の雰囲気も相まって、ヒューバートは自分が身売りされる気分だった。

「おお、来たか。ほら、改めて挨拶を」
「ヒューバート・クリフ・レイナードです」

 小さな抵抗とばかりに庭を散策してから応接室に行くと、両家の父親はすでに酔っぱらっていた。

 ただ婚約者となる令嬢はおらず、先代侯爵もそれを不思議に思ったのか令嬢の所在を問うと準備に時間がかかっていると脂ぎった顔で下卑た笑みを浮かべた。

 気分を悪くさせるのは子爵だけではなかった。

「侯爵様、お酒のおかわりはいかがですか?」

 子爵夫人は先代侯爵にはニコニコと愛想のよい笑みを向けたが、ヒューバートに対しては表情は笑っていてもその目には蔑むような憎しみのこもった炎が灯っていた。

 会ったことのない夫人にそんな目、特に憎しみを向けられる理由はヒューバートにわからなかったが、どうでもよかった。
 ヒューバートは蔑む視線に慣れていた。

 当時のヒューバートのあだ名は『ハズレ』。
 高位貴族としての義務はあるくせにお金はない、将来の苦労が手に取るように分かる結婚相手だから『ハズレ』。

 下位貴族の令嬢でも堂々と嘲笑するほどだったから、

(結婚相手には期待していなかったじゃないか)

 ヒューバート「幸せな結婚」を全く期待していなかった。
 この場に来ない婚約者の令嬢も、自分を『ハズレ』だから嫌がっているに違いない。

 見下してくるだろう。
 資金援助してやっている家の娘なのだからと無理難題を吹っ掛けてくる可能性も覚悟していた。

(暴力になら耐えられるし、愛せと言うならば愛する振りもしてみせる)

 貴族令息らしく表面上は穏やかな笑みを浮かべつつも、ヒューバートの体の中では暗い感情が渦を巻いていた。

(絶対に許さない)

 父親が憎い。
 目の前の子爵夫妻はもちろん、自分を見下す貴族たちが憎い。
 『ハズレ』と笑う貴族令嬢たちが憎くて堪らない。

 ヒューバートの何かがドロリと黒いもので覆われそうになったとき応接室の扉がノックされ、

「アリシア・メルト・コールドウェルです。初めまして、侯爵令息様」

 そう言ってペコリと頭を下げるアリシアは貴族らしくなかった。

 アリシアの容姿は貴族そのもの。
 金色に輝く髪に新緑の若葉のような優し気な翠色の瞳はヒューバートの知る令嬢の誰よりも貴族のご令嬢だった。

 貴族らしくないというのはアリシアの見た目以外。
 態度や行動は礼儀作法を習っていないのかと疑ってしまうほどだったが、

 キレイな目だと思った。

 アリシアは可憐な容姿にはやや不似合いな鋭い視線でヒューバートを見ていた。
 容姿と言った表面的なものではなく内面を探るような、人間として品定めするような真剣な目だった。

 人によってはあのような不躾な視線を不快だと感じたかもしれない。

 でもヒューバートはあの視線をとても好ましく感じて、彼女が婚約者なら悪い結婚じゃないかもしれないと少しだけ将来に希望を感じた。

***

(あの目は変わらないな)

 母子証明書を引き出しにしまうために背を向けたアリシアを見ながら、昔を思い出していたヒューバートは紅茶を飲みながら現実に戻った。

 母子証明書の法的効力を過信しない。
 ヒューバートがどんな考えを持ち、どんな行動をするか探る様な目。

 噂や推測で相手を勝手に判断せずに知ろうとするアリシアの翠色の目は初めてあったときから変わらず、いろいろ変わったいまはそれがとても嬉しかった。

(あれから七年、二十五歳か)

 いつもならばヒューバートは交渉相手について情報を集めるだけ集める。
 約束してこの街にきたわけではない、この街についてからアリシアについて調査する時間は十分あった。

 その時間を惜しんだ。
 惜しんでアリシアの店にきて……ろくに調査もしなかったことをヒューバートは初めて悔やんだ。

(アリシア・メルト・シーヴァス……『シーヴァス』?)

(息が詰まりそう)

 封筒を戻して再びイスに座ったものの、ヒューバートと向き合うことにアリシアは緊張していた。
 喉を紅茶で潤して、時計を見てまだ五分もたっていないことにため息が出そうになる。

 視線をヒューバートに向ければ何の感情もみえない顔で外を見ていた。
 しかしよく見ると眉間や口許にわずかな緊張があって、いい大人が揃って何をしているのかとアリシアは内心で苦笑する。

(いまは確か二十七歳、雰囲気が違うのは年齢のせいだけではないわね)

 アリシアの中のヒューバートは二十歳で止まっている。
 だからだろうか、最近では思い出しても年下の可愛い男の子のように感じていた。

 そんなときにやってきた本物の、年齢を重ねて大人になったヒューバート。

 目の前のヒューバートは社会的に成功した自信と経験で男としての厚みが増している。
 アリシアが知っていた男の子と同一人物とは思えない。

(……老けたとか思われていないかしら)

 接客業なので清潔感には気を使っているが、いま着ているワンピースは何度も着たもの。
 化粧は簡単にすませてしまったし、家事や仕事の邪魔だからと長い髪は一つに縛っただけ。

 子爵令嬢だった時代に未練は全くない。
 しかし子爵令嬢だったときの自分しか知らないヒューバートから見ていまの自分がどう見えるのかが妙に気になった。

 なんとなくアリシアは少し椅子を引いて後ろに下がって距離をとる。

(まだ近いけれど仕方が無いわよね)

 自分が変だ。
 普段以上に身なりが気になったり、距離に緊張したり、懐かしさに……安心してしまったり。

 完全に政略的な婚約だったが二人は特に仲が悪くなかった。
 家門のプライドで円満な婚約をアピールするためのお茶会も義務だったが、四阿あずまやで向かい合って二人で過ごす時間は穏やかだった。

 お互いに会話は得意でなく沈黙も長かったが、何を話そうか悩んでいるヒューバートの陽があたって赤く輝く黒髪を見ている時間も楽しかった。

 その光景はいま目の前にある。
 時も場所も全然違うけど、ヒューバートの黒い髪は窓から入ってくる陽の光で赤く輝いている。

(パーシヴァルに似ているわ)

 正確にはパーシヴァルがヒューバートに似ているのだが。
 息子が父親に似ている姿を見せつけられて、父子の繋がりをアリシアは深く感じる。

(パーシヴァルがこの人に、この人がパーシヴァルに会ったら……私たちはどうなるのかしら)

 こうやって会いに来た以上、親権でなくても何かしらの繋がりを求められるかもしれない。
 そして今回こうして父子の縁ができれば、二人を必要以上に引き離すのは誰の得にもならない。

 アリシアがかろうじて落ち着いていられるのはヒューバートへの信頼がある。
 ヒューバートならば自分を息子の母親として礼をもって遇してくれると信じていた。

(そんなことを感じるなんて……文通の効果かしら)

―――文通をしませんか。

 文通を提案したのは自分だったか、ヒューバートだったか。
 なんとなくふわりとはじまった二人の文通は、周囲には古臭いと思われたかもしれないが口数が少なくて会話が得意ではない自分たちには良いコミュニケーションツールだった。

 文通はヒューバートが学院に入学してお茶会が減っても細々と続いていた。

 手紙の内容は他愛のないこと。
 学校で何があったとか、庭に何の花が咲いたとか。

 短かったり、長かったり。
 報告書めいた手紙だと思ったら、次のときには詩的な文が綴られていたり。

 【寮の隣の部屋の男が馴れ馴れしくて、実に鬱陶しい】

 ヒューバートが露骨に誰かを嫌うなんて珍しいと思いながら、新聞で見つけた「円滑な人間関係の構築方法」という特集を書き写して送ったこともある。

 【学院の食堂の料理は独創的で、週に一回は胃腸の調子が狂う】

 体が資本と思いながら、庭で育てていた整腸効果のあるハーブを乾燥させたものを同封したこともある。

 手紙の中のヒューバートはお茶会の何倍もいろいろなことを教えてくれた。
 そのやりとりがいまのアリシアが感じる信頼につながっていて、

 (パーシヴァル次第だけど……良好な関係を期待してもいいのかしら)

酔夫人のひとりごと

 まるで梅雨のような天気ですね。

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