子爵家の守護者
金色の髪に、緑色の瞳、年齢は二十代半ばかそれより若い。
何年か前にその町にきて洋裁店をひらいたアリシアという女性。
可能性を聞いて先に調査員を送って得た情報。
その情報を受けとったヒューバートが二人の護衛騎士だけをつれてこの街にきた。
この街の二つ手前で追加の情報が届いた。
アリシアにはパーシヴァルという名の小さな少年がいるという。
「お母さんからは何の聞いていない、俺が急にここにきてお母さんもびっくりしたはずだ」
「そうなの?」
「……そうよ。休み時間に家で洗濯物を干していたらジーンがお客さんが来てるって教えてくれたの。まさか侯爵様だなんて知らなかった、お母さんもびっくりしたわ」
アリシアの落ち着いた説明にパーシヴァルの体からこわばりが抜け始める。
パーシヴァルが言った『大丈夫』。
その言葉の意味を知りたかったが、いまは聞くタイミングじゃないとヒューバートは堪えた。
「ごめんなさい」
「何を謝るの?ヴァルは何も悪くないじゃない。そうですよね?」
「もちろんだ。俺は何も知らない。君の名前は調べたから……でも、シーヴァスというのは」
「それは……」
「僕たちのお家の名前。おじいちゃんと同じなんだよ」
「“おじいちゃん”?」
ヒューバートの目が自分に向いたアリシアは、思わず指輪ひとつ付けていない左手を隠しながら「母方の祖父です」と答えた。
そしていまはそれ以上説明できないと、アリシアはパーシヴァルをちらりと見る。
「そうだったのか」
「ええ。パーシヴァル、もう落ち着いた?」
アリシアの問いかけにパーシヴァルはきょとんとしたと「うん」と頷く。
目線を反らすところは恥ずかしいからか。
そんなところも可愛いと、アリシアはパーシヴァルの髪を優しくすく。
「ヴァル、家に一度替えて着替えていらっしゃい」
「うん、分かった」
普段より素直にアリシアの言葉を受けいれたパーシヴァルは、ヒューバートに「あとでね」といって見せを出ていった。
「一緒に行かなくていいのか?」
「大丈夫です、あの角を曲がれば直ぐですから。治安も良いエリアですし、今までも問題ありませんでしたし」
(また、”大丈夫”だ)
大丈夫と言っているのに、アリシアは窓辺に立つ。
そしてパーシヴァルが通りを渡って角を曲がるまでずっと見ていた。
その目に不安がちらついていたので、
「うちの騎士についていかせる、遠くから見守るだけにするから」
「……ありがとうございます」
ヒューバートには何となく”大丈夫”の意味が分かってきた。
大丈夫じゃなければやっていけないから、”大丈夫”といって不安を飲み込んできたのだ。
「先ほどのことですが、母子証明書のために祖父の姓をかりました。コールドウェルという名前は使えませんし、田舎の街なので家出して余所の地域で生まれた子どものことなんてそんなに詳しく調べられませんから」
「それでは、ルーク・シーヴァスが君の実の祖父ということか?」
「はい、そうです。祖父にはすべて話して……いろいろ誤魔化すのに祖父の名を借りました」
ルーク・シーヴァス。
この街唯一の商会を営む者で、この街の顔役のひとりでもある。
アリシアの生みの母はルークと最初の妻の間に生まれた娘だった。
「私はおばあ様に顔立ちが似ているようで、私が初めて訪れたその日に孫と認めてもらえたんです」
最初の妻が亡くなってすぐに後妻を迎えたが、ルークは最初の妻を愛していた。
だからその妻との娘であるアリシアの母親も大事に思っていたが、娘からしてみたら早くに再婚した父親の母への愛は疑わしく思えた。
この街が祭りで賑わう夜、アリシアの母親は街を出ていった。
それまで何度も家出を繰り返して失敗していた彼女は人の出入りの激しい日を選び、この日初めて家出を成功させて消息を絶った。
彼女がなぜ王都にいたのかルークにも分からないようだった。
ルークは娘の死を悲しんだが、アリシアはその隣に座っていた女性の瞳に安堵の光が少しだけ見えたことに複雑な思いを抱いた。
「子爵が王都に連れて行ったのかもしれないな」
「はい。ここはコールドウェル子爵の領地ですし、母が子爵の好みの容姿をしていたとは聞いているので」
そこまで言って、アリシアは何かに気づいたような顔をした。
「元子爵領でしたね」
「知っていたのか」
「領主様が領地を王家に返上すれば騒ぎになります。あれは侯爵様がやったのですか?」
「ああ」
子爵の唯一の子であるアリシアには領地を継承する権利があった。
それを奪ったことにヒューバートは罪悪感があったが、ヒューバートの仕業かと問うアリシアの口調は責めておらず、まるで天気を聞くようなさり気なさだった。
「私たち庶民にとっては領主が子爵でも陛下でも変わりませんもの」
領主といえば領民にとって雲の上の存在、場合によっては一生会うこともない存在である。
彼らにとっては領官の方がよほど身近で、今回は領官が変わらないので特に大きな問題としてとらえられていなかった。
「子爵には領主の資格はなかったので、こうなっても仕方がないことです」
アリシアにとって父親は領主とは言えなかった。
子爵邸にいるとき、アリシアは歴代の当主たちの手記を読みこんだ。
みな政治手腕の優れ、特に先代と先々代の成したことは偉業の域だった。
そんな偉大な祖先が領民のために蓄えた資産を父子爵は食い散らかし、領地のことで気にしたのは税収の増減だけだった。
「先代子爵は息子の領主としての素質のなさを理解していて、彼は領地を王家に返上しようと考えていたそうです。彼の手記はその途中で……記録と重ねれば病に倒れて志半ばだったのでしょう」
子爵の資産を全て奪い取ることがヒューバートの復讐だった。
そして子爵の一番の収入源であるこの領地を奪うことを一番の目標にした。
ノーザン王国は土地を分けて貴族が領主として管理、運営している。
しかしあくまでも領主は領地を管理するだけ、土地の所有者は国である。
国は優秀な者を領主に封じる。
上手に土地を管理してもらって運用益を得るためだ。
逆を言えば、土地を上手に管理できない貴族は領主の座を奪われる。
ヒューバートじゃなくても元子爵は優秀な管理人ではなかった。
だからすぐに領地を奪えると思っていたのだが、その目論見はことごとく失敗した。
最初は優勢でことが進む。
けれど気づけば後手に回っていて、最後には嘘のように失敗で終わる。
元子爵は領の管理は領主代理に任せきりだった。
ヒューバートは領主代理の買収も試みたが、彼の部下である領官たちによって阻まれて彼に会うことすらできなかった。
(領官代理人は君だったのだな)
アリシアが姿を消すと同時に領主代理も消えた。
その後は嘘のように計画が進み元子爵は領地返還、貴族税も支払えずに子爵位も返還した。
アリシアがなぜ父親の元子爵に代わって領地を管理していたのかは分からない。
父親に命じられたとも考えたが、それでは説明できないほどアリシアは領地の管理に力を入れていた。
せめて元子爵が爵位を返還しなくてもすむように。
ヒューバートの推測に「父親が大事」がないのは、アリシアがまだ王都にいるときから子爵は個人的な借金で首まで浸かっていたからだ。
ヒューバートが裏で計って借金を負わせようとしても、家のときは阻まれたのに子爵当人のときは何の障害がなかった。
(アリシアの望みは何だったのだろう)
ヒューバートとアリシアの婚約を白紙にするには、双方の家門の当主たちの同意が絶対必要。
子爵個人がどうなろうと、他の者が当主に立つので契約は有効。
でもコールドウェル子爵家そのものがなくなったら?
家同士の契約だ。
どちらかの家門がなくなれば契約は無効、婚約破棄が可能になる。
(アリシアは……いや、変な期待はやめよう)
酔夫人のひとりごと
まるで梅雨のような天気ですね。
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