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第8話 祝えない幸福

七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。
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祝えない幸福


「遅くなりましたが、侯爵様になられたことお祝い申しあげます」
「……ありがとう」

 アリシアの祝辞に礼が遅れたのは、ヒューバートが爵位を父親のオリバーから継ぐまでの経緯による。
 ただ、爵位を継いだことを後悔はしていない。

「君が言った領主の資格は父にもなかった。爵位を継いで真っ先にやったのが書斎の大掃除だからな」

 爵位を継いだとき、家令のボッシュから当主の書斎の鍵をヒューバートは受け取った。
 本当なら先代当主であるオリバーから受け取るべきものだが、仕事を嫌っていたオリバーはボッシュを代理人にして書斎の管理を押し付けていた。

 書斎の扉を開けたヒューバートは、壁に沿って高く積まれた木箱に唖然とした。
 運送屋が使っているような目の粗い木箱は重厚な家具に囲まれた書斎の中で異色だった。

 ボッシュの説明によると、当主代理として重要な書類は自分が片づけたがオリバー宛ての私信は手をつけられずに木箱に。
 領地から届く定期報告書はオリバーが委任すらも拒んだので仕分けもできずにそのまま木箱に。

 木箱の中は女性からの恋文、酒場や花宿の請求書、領民からの嘆願書、使用人の辞表……紙というものが無造作に押し込められていた。

 ヒューバートとしては全部燃やしたかったが、ツケの未払いはのちの問題になるとボッシュにいわれて諦めた。

 幸いにして木箱には年が書かれていていつ頃のものか分かったし、ほとんどが恋文だった。

 恋文の送り主には既婚者もいたため中は見ずに焼却、請求書は謝罪の文を添えて請求金額に色を付けた封筒を家の者に持って行かせた。

「私の手紙も大掃除で見つかったのですね」
「ああ」

 アリシアの手紙。
 消印は離縁した日からおよそ三ヶ月後の日付。

 覚えはなく、宛名は自分なのに開封されていた手紙。

 イヤな予感がして、震える手で取りだした生成りの便せんにはアリシアの字で子どもができたこと、それについて相談したいと書かれていた。

 急いで連絡先として書かれていた宿に人を遣ったがアリシアはいなかった。
 手紙の消印から一年近く経っていたため、聞き込みをしてもアリシアがどうなったのか、そしてどうしたのか知る者を見つけることができなかった。

「手紙のことは父に聞いた」
「そうでしたか」

 正確には領地に行って、隠居生活をしていたオリバーを殴って聞き出したのだが。

「申しわけありません、ちょっと外に。急に風がでてきたので、雨が降るかもしれませんから店先のものを中に入れないと」
「ああ、構わない……雨、か」

 当時のことを思い出しているときに雨。
 どんな符号だと思いながら、ヒューバートはどんよりと黒い雲を見た。

 手紙に記された場所にアリシアがいないと知ると、ヒューバートはあとのことを指示して領地に向かった。

 雨に馬車を出すことをボッシュには止められたが、どんどん膨らむイヤな予感に耐えられず強行した。

 ヒューバートは休むことなく、馬と御者を代えながら領地に向かった。
 おかげでかなり早く到着し、先触れに出した者より早く着いてしまったため突然領地に現れたヒューバートに母のカトレアは驚いた。

 鬼のような形相でオリバーを探すヒューバートにカトレアは何かを感じたのだろう。
 いざというとき力で止められる屈強な使用人たちを集め、さらに家令に騎士も呼びに行かせた。

 そんな間にヒューバートはオリバーを見つけ出し、オシャレな彼が身につけていたクラバットで締め上げて手紙について問いただした。

―――好、好きにしろ、と。侯爵家は一切関わらないって……。

 そんなオリバーに怒り狂ったのは、ヒューバートも怒り狂ったがカトレアのほうが激怒した。
 騎士の家出身のカトレアは自室から剣を持ってこさせて、そのため騎士も剣を抜いて貴族夫人を応戦しながらなだめるという事態にまで発展した。

 あとのことはカトレアに任せて、ヒューバートは領地を発った。
 帰り道もずっと雨で、馬車を濡らし窓を伝う雨の雫がヒューバートにはアリシアの涙のように思えた。

「雨はお嫌いですか?」

 空を見上げていたヒューバートはアリシアの問いかけに応えず、

「あの子が雨が降る前に戻ってこれればいいと思ったんだ」
「そうですね」

「ア……君が、パーシヴァルを産んで、育てる選択をしてくれて感謝している」

 ヒューバートの言葉にアリシアは目を瞠って驚きを見せたが、その後は微笑みで感情を隠してしまったため、

「はい」

 首を横に振って、ただそう短く答えたその意味をヒューバートは理解できなかった。

 謙虚ゆえの反応なのか。
 それとも「礼を言われる筋合いはない」という意味なのか。

 アリシアは自己を強くあらわさない。
 それは知っていたし、そのことを好ましくも思っていたが、こんなとき薄い反応に些かじれったく

(もっと感情を見せて欲しい)

 そういう資格がないと分かっていたヒューバートは声に出さずに心で思う。

 元夫婦といっても結婚生活はたったの七日間。
 遠慮も許可もない『家族』となるには短過ぎる時間。

「あの手紙を書いたのが侯爵様でないことは分かっていました。字が違いましたし……ですから」

 感謝も謝罪も不要。

 序列が全ての貴族社会で上の者が下の者に謝意を表すことはない。
 それが貴族と庶民となれば説明の必要もないだろう。

(良くも悪くも、実に貴族らしい)

「分かった。でも、君にひとつだけ聞きたい……君は、幸せか?」

「……え?」

 意外なヒューバートの「聞きたいこと」に、思わずアリシアの頭に浮かんだのは初夜のこと。

―――はい、私はあなたの花嫁になれて幸せです。

 過去に引きずられかけたアリシアを引き戻したのは、

「ただいま」

 あのとき選んだ未来。
 最愛の息子の声と明るい笑顔にアリシアの体の力が抜ける。

 満足のいく仕事。
 そして自分が愛し、自分を愛してくれる子ども。

 これがアリシアの『いま』だ。

「ヴァル、こっちに来てくれる?」
「どうしたの?」

 首を傾げつつも近づいてくる息子を見るアリシアの目にヒューバートは息を飲む。

 愛しさ、幸せ、誇り、嬉しさ、様々な感情をたたえた瞳。
 かつてヒューバートは一度だけ、あれと似た彼女の瞳に自分を映したことがあった。

「大好きよ」

 母親の拡げた腕の中。
 愛の言葉を聞いたパーシヴァルは照れ臭そうに、でも嬉しそうに笑う。

「僕も大好きだよ」

 そう言って返すパーシヴァルの目には愛しさと信頼があった。
 ヒューバートの目の前にいるのは相思相愛の、幸せそうな母子だった。

「安心してください、私はいま幸せです」

 そう答えたアリシアは満足していたが、ヒューバートの顔を見て少しだけ困った。

「私が不幸なほうが良かったのですか?」

 アリシアの指摘にヒューバートはパッとアリシアを見る。
 そしてジッと自分を見るアリシアに、自分の中の汚い思惑を見透かされそうで目をそらす。

 アリシアの言う通りだった。
 ヒューバートはアリシアが不幸ならいいと思っていた。

 彼女が嫌いとか、ましてや憎いとかではない。

 ヒューバートの打算、卑怯な考え。
 アリシアが不幸なら、ヒューバートがアリシアに手を差し出す理由があったから。

 家族に、なれるかもしれない。
 そんな自分勝手な、利己的な願い。

「そうかもしれないな」

 反吐が出るような醜悪なもの。
 だけど紛れもない本音だったから、ヒューバートはアリシアの言葉を肯定した。

酔夫人のひとりごと

 まるで梅雨のような天気ですね。

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