約束と復讐
ルークの助言に従ってアリシアたちが戻ると直ぐにヒューバートは店を出た。
馬車に乗り込むときに突き刺さる視線は好奇心と詮索、なかなかの量に苦い思いを噛み殺す。
ルークに紹介された宿は街を出てすぐ、丘を登ったところにあった。
三代前の領主が建てたという建物は砦のようで、この地方で災害が起きたときに対策部隊となることを条件に国から安く買い上げたらしい。
「高いところにありますので周辺を広く見渡せますよ」
街の中と外でこんなに違うのか。
ヒューバートを客、もっと言えば金持ちの貴族にしか思っていない従業員の視線をヒューバートは心地よく感じてしまった。
客室に入り、一人になったヒューバートはベランダに出て外を見る。
言われた通り、塀に囲まれた辺境の街がよく見えた。
視界いっぱいに広がる荒涼の地にあるほんの一部分。
まるで箱庭のような街の中は古くからある価値観と、それをずっと維持してきた住人たちにとって居心地によい箱庭なのだろう。
そういうところは貴族と同じだとヒューバートは思った。
(資金のない俺は裕福さを自慢する貴族社会の余所者、そういう意味ではアリシアもだな)
ヒューバートの婚約者になったばかりのアリシアは貴族の令嬢らしくなかった。
アリシアは感情が薄いため普段は表情のない人形のようだが、「感情を隠す」という貴族の教育を受けていなかったので表情を作ることができなかった。
初めて会ったとき、ヒューバートを堂々と品定めしたように。
アリシアはコールドウェル子爵の娘だったが、あくまでも政略の駒。
結婚させて縁を繋げば用なしと考えていたから、元子爵は貴族としての教育を「金のムダ」と受けさせなかった。
それが良かったのか、悪かったのかはヒューバートには分からない。
貴族の交流で微笑みながらも『ハズレ』と嘲笑う貴族令嬢しか知らないヒューバートにはアリシアの貴族らしくないところが新鮮で好ましかったからだ。
(それに、アリシアには俺だけだった)
娘の交際にお金を出すような親ではなかったため、正式な社交を始める前のアリシアにとって交流する相手は婚約者のヒューバートだけ。
あの交流だって渋々であることを娘に隠さなかったのだろう。
四阿でのお茶会に出された紅茶や菓子を申しわけなさげに見て、最初の頃は緊張もあって何も口をつけずに終わることも多かった。
ヒューバートも子爵邸で出されたものを口にすることに抵抗がなかったわけではない。
アリシアの緊張を解くのに役に立てば。
その気持ちだけで口にして、そんなお茶会を何回か重ねて初めてアリシアが紅茶のカップに口をつけたときは内心でガッツポーズをしてしまった。
アリシアが菓子を食べるようになったころ、ぽつりぽつりとだが会話も増えた。
アリシアとの会話は面白かった。
互いに口数は多くないので一回のお茶会で話題にしたのは五個もなかったが、会話ができた。
こちらが一切興味を示していないのに、他人の恋愛や流行のドレスについてベラベラ語る他の令嬢とは違う。
アリシアが思ったことを言えば、ヒューバートにどう思うか聞いた。
ヒューバートが思ったことを言えば、「そうですね」と微笑んだり「そうなんですか」と驚いてみせたり。
「学院を卒業して……結婚する頃にはそんなことがなくなって寂しかったな」
未来の侯爵夫人になるから元子爵はアリシアに貴族令嬢としての教養を学ばせた。
独学で学ばせたところは子爵らしいが、子爵夫人の主催した茶会を見学しながらアリシアは貴族令嬢になっていった。
「旦那様、暗くなってきました。お風邪を召されては大変です、部屋にお戻りください」
「……ああ」
護衛騎士の言葉にヒューバートは苦笑する。
この七年で商会は大きくなって資産は増えた。
侯爵として政策に参加して成果もだしているので権力も増えた。
しかし、それに比例して不自由も増えた。
小さなか弱い子どもでないのだ。
夜風にあたったからといって風邪などひきやしない。
そしてその不自由は、自分が守りたいと思う者にまで及ぶ。
その事実にヒューバートの内心はため息が吹き荒れていた。
「アリシアたちに警護は?」
「はい。後発隊の者を常に二名、三交代で警護する予定になっています」
「特別任務だ。交代を終えた者たちには美味いものを食わせてやってくれ」
そう言うヒューバートに預けられた金貨に緩む口元を防ごうと騎士は視線を動かし、入口に置かれたシロツメクサの鉢植えに気づいて思い出す。
「そう言えば、この辺りにシロツメクサの群生地があるそうですよ」
「シロツメクサか……シロツメクサの花言葉を知っているか?」
「ええ、『約束』ですよね」
「よく知っていたな……知らなさそうなのに」
それなら何故聞いた、と思わないでもなかったが相手は雇い主。
ここ以上に高い給金をくれるところを聞いたことがないので文句を言うのはやめた。
「うちの妻が花言葉が好きなんで何となく覚えていただけです」
「なるほど……」
納得するようにうなずいたヒューバートは騎士をジッと見てにこりと笑う。
「君の奥方はなかなか怖い方のようだ」
「そうなんですよ。ちょ~っと他の女性に目移りすると目をくりぬこうとするんだから」
「それだけ君が奥方に愛されているということだろう。何か土産でも買って行ったらいい」
そう言うとヒューバートは銀貨一枚を追加した。
そうして腰を九十度に折って礼をした騎士が部屋を出ると、ヒューバートはシロツメクサの鉢を持ち上げた。
「約束……と、復讐」
『復讐』、それはシロツメクサのもう一つの花言葉。
酔夫人のひとりごと
まるで梅雨のような天気ですね。
当ブログは「日本ブログ村」に参加しています。
コメント