そのころ王城では、レヴィ伯爵の諮問という名目で集まった貴族派と国王派が激しい論戦を繰り広げていた。
「陛下」
数少ない中立派の審議官に発言を促された父王を見て、ルカヴィスは溜め息を堪えた。
「レヴィ伯爵、最後にもう一度問う」
この問題の解決にはレヴィ伯爵の自白が必要不可欠だが、手を変え品を変えて糾弾してもレヴィ伯爵は潔白としか言わない。
そのゆるぎない態度にはリアン侯爵の後ろ盾が見え、これ以上議論を長引かせても無意味だと分かるが、貴族派に一石を投じる千載一遇のチャンスを得られたというのにとルカヴィスとしては遣る瀬無い気持ちを拭えない。
「レヴィ伯爵、そなたはあの商会から賄賂を受け取ったのか?」
「はい」
(…………ん? “はい”?)
聞き間違いかと思ってルカヴィスが周囲を見渡したら、全員が戸惑っていた。
全員に幻聴が聞こえるなんてあるわけがない。
「陛下」とルカヴィスは父王にもう一度同じ質問をするように投げかけた。
「レヴィ伯爵、そなた、いま、賄賂を受け取ったと申したのか?」
「はい、私は賄賂を受け取りました」
その場にいた全員が息を飲み、それはレヴィ伯爵も同様だった。
「それは、確かに賄賂なのだな?」
「私は金を受け取り、国道整備の契約を不当に調整しました。そして——」
伯爵は手を口で覆いはするが、質問するたびに素直に、依然と真逆の答えを述べる。
まるで—— 魔法のように 。
レヴィ伯爵の意思ではない。
なぜ自分がこんなことを言っているのか、レヴィ伯爵の顔はそう言っていた。
「全てリアン侯爵の指示でした」
「な、なんだと!?」
その言葉を発したレヴィ伯爵は顔を恐怖で青くして、リアン侯爵は怒りで顔を真っ赤にしていた。
「貴様っ!」
「受け取った金の七割をリアン侯爵に渡しました。受け渡しは——」
リアン侯爵は信じられないという顔で伯爵を睨みつけた。
「わ、わしは知らんぞ! 不愉快だ。体調が優れないのでこれで失礼する」
国王より先に議場を去るなど不敬極まりないが、それが許されるのが今のゼフィリオンであり、ルカヴィスはそれにも内心の溜め息が止まらなかった。
ゼフィリオンの議会は混乱したが、最終的にはレヴィ伯爵が自ら罪を認めたことで、長きにわたる攻防に決着がついた。
「これまでの苦労は何だったのか……」
国王派の者たちは、あまりにも呆気なく片付いたことに狐につままれた気分でいたが、それでも勝利は確かで。
国王派と貴族派の対立はいつものことだが、国王カリスティオンが子爵令嬢であるエレノアを王妃と迎え入れたことで国王派の力は弱くなった。
勢力を増した貴族派によって城内の使用人の多くは貴族派に、そして王妃エレノアは床に臥せることが増え、ルカヴィスが10歳になる少し前に亡くなっている。
大国の王妃の座を空席にはできず、カリスティオンはリアン侯爵家のアマーリエを王妃に向か入れ、同時期にルカヴィスは離宮で暮らすようにカリスティオンに言い渡された。
新しい妻を迎え入れるために先妻の息子を追いやったともとられる図であり、カリスティオンとエレノアの恋物語は平民にも人気だったため、その後の展開としてのこれに平民からも不満の声があがった。
しかしそれは外から見た者の認識であり、さらに貴族派が煽った噂である。
離宮にはカリスティオンが信頼できる使用人と騎士だけがおかれた。これは王妃から自分を守るための父王の取引なのだとルカヴィスは直ぐに気づいた。
10歳にもなれば、仲の良かった両親の間に子どもが自分しかいないという不自然な理由も察しがついたが、どんなに憤りを感じても母方の後ろ盾がないルカヴィスにはリアン侯爵に向ける剣を持っておらず、我慢するしかなかった。
10年前、ルカヴィスが16歳で成人を迎えた頃にアマーリエが妊娠し、その頃から貴族派は国王派、ルカヴィスに対する攻撃を強め、ルカヴィスの身の安全を担保に貴族派に有利な法案を通した事案がいくつもあった。
そんな国王派が、10年間負け続けの国王派が、今回は久し振りに勝利した。
しかもリアン侯爵に剣先を突き付ける形で。
久し振りの勝利に沸く国王派貴族たちが騒ぐ議場から出て、ルカヴィスは自分の執務室へと向かい、執務室の扉の前に少年が立っていることに気づく。
「ノア」
少年がルカヴィスに顔を向けた。
「兄上!」
その少年——第二王子ノアルド・リアン・ゼフィリオンは顔をあげてルカヴィスに駆け寄ってくる。
そして全身を、背中まで見渡す。
「兄上、大丈夫ですか?」
その一言で、ルカヴィスはノアルドが先ほどのことを知っていること、そして議場を出たリアン侯爵がその足でノアルドのもと、つまりは王妃のもとに行ったことに気づいた。
王妃は自分の足場が揺らいだことを知った。
ルカヴィスは警戒心を微笑みに隠し、安心させるようにノアルドの肩に手を置いた。
国王派と貴族派の対立、最終目的は互いが推す王子を王太子にすることだ。国王派はルカヴィスを推し、貴族派はノアルドを推している。
とうに成人し、国政や外交にも参加して才能と器量に問題のないルカヴィス。それに対してまだ10歳にもならない幼い王子。
国王の健康に問題なく、ノアルドが成人するまで王座を温めていられるとしても、ノアルドを王太子に推す声が他国にまで聞こえるのは、国王の権勢が弱まっていることを宣伝しているようなものだった。
「……僕は、兄上に王になってほしいんです」
ノアルドは少年ながら聡明で、それゆえに王太子争いの原因である自分がこの国を弱くしていることに気づいていた。
彼自身は国王になりたいなどと思っていない。
「でも、母上は聞いてくださいません」
自分は国王に相応しくないと言っても、王妃とリアン侯爵、それと彼らの取り巻きたちは聞く耳をもたない。
自分たちが支えるから大丈夫だと、そう言い聞かせてくるのだとルカヴィスに話すノアルド。
王子として国を思う気持ちと、息子として母を思う気持ちの板挟みになっている幼い弟を思うとルカヴィスはやるせない思いに駆られるが、自分としても一歩も引くわけにはいかない。
この対立はもはや理念や信条などではなく、ただ欲と力の問題となっており、どちらかが倒れるまで終わらないのだ。
「母上が……何かするかもしれません」
ノアルドの声は、微かに震えていた。
「これまで何もできなかったのだから、心配することはないさ」
ルカヴィスは安心させるようにノアルドと視線を合わせて微笑み、ノアルドに自分の部屋に戻るように言った。
この状況を王妃が知ったらさらに機嫌が悪くなるから。
王妃とリアン侯爵が王権を握るために必要不可欠なノアルドの命に危険はないが、優しい弟の柔らかい心を必要以上に傷つけたくなかった。
ノアルドは納得しきれない顔をしていたが、やがて小さく頷くと王宮の奥へと歩いて行った。
静かに彼の背中を見送った後、ルカヴィスは執務室の扉を開けた。
その夜、ルカヴィスは毒を盛られた。
寝酒に混入された毒は、滑らかなワインののど越しに紛れ込み、何の違和感もなくルカヴィスの喉を通ってしまったのだ。
異変を感じたのは一瞬。
でも気づいたときにはもう体が動かなくなり始めた。
まさかという気持ちで、ルカヴィスは傾く視界の中で満足そうに笑う従者を見ていた。
彼は長くルカヴィスの傍にいた。
ルカヴィスは忠臣だと思っていた。
信じていた者に裏切られた。
その事実が、毒の苦しみよりも痛かった。
そして、ルカヴィスの意識は闇へと沈んだ——。
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