ゼフィリオンの王都エアリア。
人通りの多い大通りから三つ東。
清潔だが人通り多くない通りにアルカ商会の建物はある。
周りの建物よりも古いが朽ちた様子はなく、大きく開いた窓にかかった水色のカーテンは清潔で、穏やかな風に揺れる様子は爽やかだ。
部屋の中央には「コ」の字の形に三つの机が並んでいる。
「セフィちゃん」
小柄な老婦人の言葉に、向かいに座っていたセフィことセフィリアは顔をあげた。
「はい、夫人」
「帳簿をまとめるのを手伝ってもらいたいわ」
「喜んで!」
セラフィナの元気な声に夫人は笑い、つられたようにセラフィナも笑う。
「うちのセラフィナたちは今日も楽しそうで何より」
二人の笑い声に、上座の机にいたアルカ商会長は満足そうに笑う。
この世界にはセラフィナという女性がたくさんいる。
そして夫人の名もセラフィナ。
この商会にはセラフィナが二人いるが、誰も混乱しない。
この商会にいるのはこの三人だけだから。
元は何十人も従業員を抱える大きな商会だったアルカ商会。
先々代の頃から経営が傾き、いまは老いた会長とその夫人、そしてセラフィナの三人で細々と経営されている。
「会長、テラヴェルム産の種の取り引き、無事に終わってよかったですね」
「そうだねえ……」
「どうしました?」
どこか納得していない風な会長に、セラフィナは首を傾げた。
「不思議なものだと思ってな……あの種は損がでなければラッキーという代物だったというのに、辺境伯様が必要だということで高値で売れた。そしてそれを待つように、今回の取り引きだ」
「良かったではないの、あなた。私たちは三人では仕事が多すぎても困るわ」
「そこなんだよ。毎回ちょうどいい仕事がくる、この五年間、途切れることなく」
会長は不思議そうに取引記録を見ていた。
「会長のお人柄のおかげですよ」
「そうよ、あなた。どれもそんなに大きな取り引きではないから、皆さん、アルカ商会くらいで丁度いいと思ってくださるのよ」
「……そうかなあ」
上手い話には裏があるような不安感なのだろうか。
そして誰かが不安に思うと、その不安は伝染するため、セラフィナは何ごともなく今回の取り引きが終わることを願った。
セラフィナはいまアルカ商会で職員として働いている。
普通なら孤児院出身のセラフィナが商会の職員にはなれない。
孤児ということで信用がないのだ。
商売は信用第一。
働けたとしても、掃除など下働きの雑用係がせいぜい。
仕方がないと孤児院出身者は日雇いの仕事で日々を生きていく。
他に応募者がいなかったからとはいえ、職員として雇ってくれた商会長夫妻にセラフィナはとても感謝していたし、このアットホームな職場がセラフィナは大好きだった。
「これからもお二人が笑う姿をこうして見ていたいです」
セラフィナの言葉に、夫人と会長は目を合わせて微笑んだ。
「いつ潰れてもおかしくない綱渡り商会だが、もう少し頑張ってみるか」
「頑張りましょう、あなた」
勤労を誓う二人を応援するように舞い込んできた風は食べ物の匂いが混ざっていた。
ランチの時間だ。
「会長、今日のランチは例のパンにしましょう」
「無理せんでくれよ。あそこのオリーブパンは確かに美味しいが、美味しいゆえに数量限定で、争いが激しい」
心配そうな目を向けられてセラフィナは心がくすぐったくなった。
だからこそ二人に食べてもらいたい。
ついでに自分も食べたい。
セラフィナのやる気が満ち溢れる。
「大丈夫です。私、争奪戦に負けたことないので」
「そういえば、そうだな」
「今日は夫人の誕生日ですし、絶対にゲットして戻ってきます」
セラフィナは意気込んで鞄を肩にかけて、部屋を出た。
彼女が言葉にした願いは、知らぬ間に世界を動かす。
いまパン屋では数量限定のオリーブパンが三つ、店頭に並ばず黒い鉄板の上に取り残されている。
セラフィナの願いは何でも叶う。
ただそれを、セラフィナは知らない。
「今日は洗濯物を干してきたし、よく晴れますように」
その言葉に、エアリア上空から雲が消えた。
数量限定オリーブパンを食べ終えたセラフィナは新聞を手に取る。
商会長の家に毎朝届けられる新聞をセラフィナは借りて読んでいるのだ。
読み書き計算はできるものの、それは仕事をするための最低限だとセラフィナは商会の仕事を通して気づき、セラフィナは商会長夫妻の役に立つため新聞を読んで政治や経済を学んでいる。
(今日はどんな記事があるかしら)
一面にはレヴィ伯爵の賄賂問題、この数カ月の間ずっと国を賑わしている事件だ。
事件の内容は目新しいことではなく、よくある汚職事件。
国道の管理を司るレヴィ伯爵が、ある商会に仕事を独占させる見返りとして多額の賄賂を受け取っていたというもの。
商会の関係者および関与した国の官吏はすでに逮捕されているが、罪名は「贈賄」ではなく貴族に対する「侮辱罪」。
レヴィ伯爵は自分を貶めるために彼らが嘘をついていると主張している。
(彼らにそんなことする理由はないと思うけれど)
レヴィ伯爵の言い分を信じている者は少ないとセラフィナは思っている。
新聞記事にもレヴィ伯爵の発言は嘘だと匂わせている様な雰囲気があるが、貴族と平民の争いの場合、平民は問答無用で裁かれるが、貴族は本人の自白がなければ裁かれない。
それがいまの国の法律で、今回はその法律を明け透けに分かりやすく悪用している。
こんなことが罷り通ってしまっているのは、この国の最高権力者である国王の力が弱いからに他ならない。
現在のゼフィリオン国王カリスティオンは“愛に生きる王様”と、平民からは親しみを込めて、貴族からは嘲笑を込めて呼ばれている。
カリスティオンは愛を理由に子爵家の令嬢エレノアを王妃にした。
彼の愛を、貴族派の筆頭で彼の王妃の座に身内の者を座らせようとしたリアン侯爵家は反対し、これ以上リアン侯爵家に権力を与えたくない国王派は賛成の立場をとった。
エレノアは王子一人を産み、彼が十歳のときに天に召された。
国王の後継者が一人であることに国中が不安を覚え、カリスティオンは貴族派の圧力に負けてリアン侯爵家の末娘アマーリエを王妃として迎えた。
エレノアへの愛を大事にしたカリスティオンは、アマーリエとの愛のない行為に忌避感を覚え、結局第二子で第二王子が生まれるまで七年のときを要した。
そして現在、この国は王太子争いが激化している。
第一王子のルカヴィス・エストレ・ゼフィリオンは二十六歳だが、生母の実家が子爵家なので王子の後ろ盾にはなれない。
一方で第二王子のノアルド・リアン・ゼフィリオンは生母の実家がリアン侯爵家で後ろ盾としては強力だが、まだ彼の年齢は九歳と幼い。
この一長一短の状態が王太子争いを長期化し、それによって国力の低下を招いている。
今回のレヴィ伯爵の事件も、単なる汚職事件から、レヴィ伯爵がリアン侯爵の腹心であることから国王派と貴族派の対立へと変わってきている。
「レヴィ伯爵は自分が自白さえしなければ罪に問われないと分かっていてだんまりのようだが、長くだんまりしているせいで街道の整備もままならん。この前の土砂崩れも、もとをただせば国道の整備がきちんとできていないから。伯爵はそこのところを分かっているのか」
その土砂崩れでは何人もの人が亡くなり、初めての家族旅行に心躍らせて出かけた若い夫婦と幼い子どもの悲劇の記事は新聞でありながら人々の涙を誘った。
新聞と考えれば感情が混じり過ぎている記者サラディン。
最近のセラフィナのお気に入りの記者だった。
「でも、レヴィ伯爵は何もしていないかもしれませんよね」
「それはそうだ、それを問う為の裁判なのだからな。裁判では真実のみを述べると先制するというのにな」
「真実のみ……」
(レヴィ伯爵が本当のことしか証言できないようになればいいのに)
コメント