「第一王子も結婚するのか」
セラフィナは昼休み、新聞を広げて、第一王子のお妃様探しの記事を見つけた。
情報を得る以上に熟読してしまったのは、これがサラディンの新聞記者としての最後の仕事だから。
決別の熱い思いの籠った記事は情熱に満ち溢れ、セラフィナの目をくぎ付けにした。
サラディンのペンを借りて貴族議員たちは家族の大切さを切々と語る。
政略結婚で始まったある貴族の愛情深い思い出話にはセラフィナの胸が痺れた。
(どんな始まりでも、いまは愛し愛される結婚なのね)
サラディンの記事には、王太子である第一王子も愛し愛される結婚を望んでいるという。
そのくだりにセラフィナは共感を覚えた。
雲上人だと思っていた第一王子に仲間意識が芽生えたセラフィナは――。
(第一王子殿下が愛する人と結ばれ、愛し愛される幸せな結婚をしますように)
願った瞬間、強烈に胸に沸いた熱い思い。
「月曜だけど、飲みにいきたい!」
セラフィナはいつもの酒場へ足を運んだ。
「月曜の夜に、珍しいね」
「無性に飲みたくなってしまって」
馴染みの店員の「あるよね」という言葉に笑いながら、セラフィナは旬の料理とエールを注文した。
「おや、あっちも珍しい」
店員の言葉に視線をそちらに向けるとルカの姿が見えた。
二人の目が合う。
ルカの緑色のきれいな目が軽く見開かれた。
「珍しいな」
「そっちこそ」
「無性にこの店で飲みたくなったんだ」
「私も」
二人の会話に店員は「それは嬉しいですね」と相好を崩した。
そして二人の前に真っ白なクリームで覆われ、ホワイトチョコレートの飾りがついたケーキを置いた。
「これは?」
「婚約祝いのケーキだったのですが、プロポーズしようとした矢先に恋人に振られてしまいまして」
「……縁起が悪い」
セラフィナはケーキから僅かに距離を置いた。
「大丈夫ですよ。ケーキはずっと冷蔵庫にいたので妙な呪いはかかっていません」
(……本当に?)
「僕が見たところプロポーズの成功率は三割を切っていましたし」
「それでよく……」
「例の王太子殿下の新聞記事の影響で、いまなら結婚に夢みてくれるんじゃないかーと思ったそうです」
(何か、変じゃない?)
「夢から覚めたらどうするんだ」と呆れて笑うルカの姿はセラフィナが見慣れたもののはずなのに、いつもとどこか違っていて、落ち着かない気持ちになったセラフィナは軽く視線をそらした。
「なんだ、今日は大人しいな」
「……愚痴ることがないから、何の話をしていいか分からない」
「何の話でもいいよ」
その言葉と音にいつもはないものを感じ、それがセラフィナを落ち着かせなくさせる。
(よし)
セラフィナは勢いよくエールを飲み干した。
「帰る」
(君子危うきに近寄らずよ)
「え?」
「トイレに行くのを思い出したの」
「尿意って思い出すものか? それにトイレなら店のを借りろよ。まだ料理も残っているし」
(……ルカの言っていることのほうが正しいけれど、なんか落ち着かないのよ。察してほしいと言いたいけれど、察しられても困る気がするから察しないでほしい)
セラフィナの願いが叶い、わけがわからないという顔でただ首を捻るルカ。
(いまのうちに……)
立とうとセラフィナが椅子を引いた、その瞬間――。
「きゃっ」
後ろでエールを運んでいた給仕とぶつかり、セラフィナは背中に思い切りエールをかぶってしまった。
「す、すみません」
「こちらこそ急に動いてしまって……」
エールで濡れた服が肌に張りつき、肌が透けて見えはじめたことに給仕は顔を赤らめた。
「どうしました? 顔が赤く……きゃっ!」
それに気づかない上に近づこうとしたセラフィナの視界が陰る。
ふわりと香るってきたルカの匂いに、セラフィナは慌てて被さってきた布をとる。
さっきまでルカが着ていたジャケットだった。
「……ルカ?」
何をするんだという目でセラフィナはルカを見たが、ルカはそれに答えず素早く机を回ってきてセラフィナの前に立つ。
その異様な迫力にセラフィナが竦むと同時に、セラフィナの手から自分のジャケットを奪ったルカはセラフィナに羽織らせてボタンを留めていく。
「エール臭くな……「構わない」」
ボタンを一つ残らずしっかり留めたルカに、被せ気味に言葉を遮られたセラフィナは眉間にしわを寄せる。
「ちょっと……」
「……送っていく」
ルカヴィスは机に金貨を一枚置き、先ほどまで話していた店員のほうを見る。
店員は肩を竦めて、セラフィナに笑い掛けた。
「気にしないで、よくあることだから。それよりもエールでずぶ濡れだから、すごい臭いになる前に着替えたほうがいいと思う」
店員の言葉にセラフィナがホッとした瞬間、「ふんっ」となぜか不機嫌なルカに手を引かれた。
手を繋いで歩く男女の姿はあちこちにあったが、手を引かれて前を歩くルカを追いかける形になっているセラフィナは目立ち、大勢の視線を向けられる気まずさにセラフィナは足を止めた。
「どうした?」
「どうしたって、大丈夫だから」
「なにが大丈夫なんだ?」
ルカの冷静な反応に、慌てているのは自分だけかと、セラフィナはかちんっときた。
「家はもうすぐそこだから、これ以上送ってくれなくても大丈夫」
「家、どこ?」
「あの赤レンガの、蔦が絡まった……って、ちょっと、ルカ?」
「建物の入り口まで送る」
ルカがセラフィナの手を強く引き、反動で踏ん張っていたセラフィナの足がたたらを踏んでしまい、傾く体を抱き留めるようにルカがセラフィナの肩を掴む。
「ちょっと、待って。本当に大丈夫だから!」
「だから、何が、大丈夫なんだ?」
「何がって……臭いはすごいけどエールで濡れただけだし、どこもぶつけてないし、血も出ていないから」
「セラフィの大丈夫と俺の大丈夫が違うことが分かった。何階?」
気づけばアパルトマンの階段の前にいた。
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