今日もルカヴィスは執務室で大きなため息を吐いていた。
ノアルドの廃嫡案で悩んでいるのではない。
あれは救助された貴族議員たちが「殿下方はご兄弟、家族ほどありがたい存在などありえません」と手のひらを返して撤回していた。
ちょっと探ってみれば、彼らの手のひら返しの理由は直ぐに分かった。
貴族議員七人のうち、一人は奥方に「あなたには愛想が尽きました」と離縁状を突きつけられた。
四人は娘に「なんで帰ってきたの?」と心底不思議そうな目で言われて傷つき、彼らのリーダー格であるエアロファーネ侯爵にいたっては島で十分な頭皮のケアができずにいたせいか「毛がなくなったあなたに魅力を感じない」と愛人にフラレてしまったという。
「女の愛は一瞬で消えるものよ」と笑っていた女の言葉を、ルカヴィスは思い出して苦笑した。
「愛、か……」
いまルカヴィスの頭を悩ませているのは彼の妃問題だった。
改心して家族を賛美するようになった貴族議員たちは、三十歳が目の前なのに王太子のルカヴィスに婚約者すらいないのは問題だと騒ぎ始めた。
俺のことより自分の家族をどうにかしろよとルカヴィスは言った。
しかし回りくどい表現をした皮肉は、家族の絆を結び直そうと必死な彼らに通じなかった。
ルカヴィスは年齢を、正確には自分と妃になる令嬢の年齢差を問題にしてみた。
貴族なら男女ともに十代半ばに婚約、二十歳を目安に結婚しているため、ルカヴィスと同じ年頃の貴族令嬢は問題ある者を除いて全員結婚している。
王子とはいえ十歳近く若い令嬢たちにとって自分は年齢が上過ぎると言ってみた。
しかし妃の一番大事な役割は子どもを産むこと、若ければ若い方がいいと言われてしまった。
(それだから妻に離婚を迫られ、娘に邪険にされ、愛人に捨てられるんだ)
しかし、スーパードライに考えれば彼らの意見に間違いはない。
それが分かっているから、ルカヴィスは悩んでいた。
「結婚か」
執務室の机の端っこには、いま令嬢の姿絵が積み重なっている。
全てルカヴィスの妃候補たちだ。
ルカヴィスは一度も開かず侍従たちにそこに積ませ続けている。
でも毎日少しずつ山は高くなっている。
他薦だけでなく自薦もあると聞いてルカヴィスは、やはり自分は王太子なのだなと実感させられていた。
王太子になることは、ルカヴィスが生き残るために必要だった。
ノアルドが王太子になれば王妃かリアン侯爵に自分が殺される可能性は高く、死にたくなかったからルカヴィスは王太子になることを目指した。
しかし、実際になってみると血筋の良い娘を娶り、優れた血統の後継者を残せと種馬扱い。
生涯を共にする女性。
自分の子を産む女性。
(思い浮かぶのはたった一人だというのに)
賑やかな酒場で一人、美味しそうに食事をしながら楽しそうに酒を飲む女の姿が浮かぶ。
ノアルドが“セラフィナ”という女性に一晩世話になったと聞いたとき、そのお節介で人の良いところから自分がよく知る彼女だと思ったが、目の色を覚えていないと聞いてルカヴィスは別人だと判断した。
セラフィナの空色の瞳の美しさは強烈で、忘れたくても忘れられないからだ。
初めてあの空色を見たのは街中。
彼女はその瞳を違うものに向けていたが、表情豊かなその空色に目を奪われた。
最初は、それだけ。
セラフィナはきれいな顔立ちをしているが絶世というわけではない。
髪色も凡庸な栗色。
セラフィナを見かける時間と場所はだいたい決まっていて、「今日もいるんだな」と思うようになって、いつの間にか「やっぱりいたな」に変わっていた。
振り返れば、この頃から恋をしていたのだと分かる。
最初に話しかけてきたのはセラフィナ。
でも店内にいる彼女を何度か見かけていたから酒場に入ったのであって、話しかけられるきっかけを作ったのはルカヴィスだった。
初めて自分に向けられた空色の瞳。
それに満足した瞬間、ルカヴィスはセラフィナへの恋心を自覚した。
でも王子である自分が平民の女性と恋仲になるなど許されることではないく、その恋心は胸の奥底に沈めた。
(幸いなのかどうか分からないが……)
セラフィナにルカヴィスは男ではなかった。
夜の酒場で会っても「お疲れっ」と労わりの言葉をかけてくるだけで、二人で飲んでも恋情をにおわせる言葉など欠片もない。
完全に友だちの枠。
(だからだろう……)
―― ルカはどんな女性が好み?
恋情の籠らないセラフィナのあの言葉を訳せば、「どういう女性が男好みなの?」となる。
(友人としてアドバイスを求められたというのに、俺ってやつは……)
セラフィナに好みの女のタイプを聞かれて、ルカヴィスは「ミステリアスな女」と答えていた。
(あいつは気づかないだろうな)
ルカヴィスの言ったことに嘘はない。
一般的なミステリアスなイメージとは真逆の位置にいるセラフィナだが、ルカヴィスにとってセラフィナはミステリアスな存在だった。
セラフィナは、考えたことがすぐ顔に出る。
嬉しければ笑い、不安なら眉間に皺が寄り、感情の波がそのまま表情というキャンバスに描かれる。
何も隠せない。
そもそも隠さない。
だからルカヴィスにとってセラフィナはミステリアスな存在。
(そもそも“愛し愛される結婚”というのだって――)
セラフィナは「恋愛」に興味はない。
それなのに愛し愛される結婚をしたいというセラフィナの矛盾は、「愛し愛される結婚」を“正しい”と思っているだけ。
それが産まれてくる子どもの幸せの絶対条件のように。
(親に捨てられて孤児になった生い立ちが関係しているのだろうな)
恋愛に興味があるのはただの振り。
それはセラフィナは自分に向けられる男たちの好意に全く気付かない、それどころか忌避している様子さえ見られることから分かる。
セラフィナが恋愛に興味がないことは、ルカヴィスにとってジレンマであると同時に救いでもある。
ルカヴィスは王太子でセラフィナは平民。
セラフィナを娶るなら愛妾としてしか許されず、彼女以外に妃となる女性を娶らなければいけない。
そんな結婚がセラフィナの「愛し愛される結婚」に当てはまらないことはルカヴィスにも分かる。
セラフィナの幸せを願うならこのまま友人でいるべき。
友人として彼女の幸せ、彼女が愛し愛される結婚をするのを祝福しなければいけない。
(それなのに……)
ミステリアスな女というルカヴィスの助言を信じて、セラフィナがミステリアスを目指すのはルカヴィスの想像に難くない。
一般的なミステリアスは、セラフィナとは真逆。
つまり自分と真逆のタイプをセラフィナは目指す。
無理な話。
二週間くらいで自分には無理そうだと悟るだろうが、なんだかんだと「ミステリアスではないから男好みではない」とセラフィナは誤解し続け、さらに恋愛からは遠ざかるに違いない。
(ほんの少しの延命かもしれないのに)
どうか、もう少しだけ、誰かのものにならないで欲しい。
そうルカヴィスは願ったとき――。
「王太子殿下。明日の新聞に殿下のお妃様探しの記事が出るそうですよ」
「……何だって?」
「貴族議員たちが意気揚々と取材を受け、家族の大切さや愛の尊さを語ったそうです。家族や愛人の株を上げようと必死ですね」
「俺を巻き込むなよ!」
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